2015年1月22日木曜日

バカな正義感

人間は、生まれた瞬間から、死ぬまで他人の世話になるもの。

身近な人間だけではなく、生きている限り社会という不特定多数の人達の世話になっているということをしっかりと認識しなければならない。

その中で自分はどういう貢献ができるか?

自分という人間は社会でどう役立つのか?

を考えなければならない。


社会の中の一員という認識がないまま、役立つことを考えればそれは独りよがりであり、エゴである。

それは他人にとって迷惑でしかない。

そんなことが今の日本で話題になってる。

今、こんなとが話題になること自体、社会の迷惑である。

バカも休み休みにしてほしい。

2015年1月21日水曜日

感性を磨く

いろんな感性がある。

他人から見て感性が磨けてる人って、その感性だけを磨いてる人では無いと思いませんか?

特化して一つの分野に感性が磨けてる人って、他のこともしっかり熟知してますよね。

だからこそ磨きたいものをどう磨けば光るのか知ってますよね。

一つの感性に集中して他に目を向けてない人って、凄いと思うけど輝きに深みがないというかなんかそんな感じがする。

ふとそんなことを気づかせてくれる今日この頃

何のこといってるかわかるかなぁ・・・・フフ


2015年1月13日火曜日

継続は創造より難なり

継続は力なり、という言葉は昔からある。

最近この言葉をはき違えていると感じることが良くある。

残していかなければならない過去からの古き良き文化や習慣、これはまさしく、繰り返し継続させることで、伝承してきた。

しかし、新しいものを作り上げそれを定着させようとするとき、それは単に継続だけで良いのだろうか?


各地で地方を活性化させようとする取り組みが、多く開催されている。

私が住む奈良でも毎年何か新しい取り組みがスタートする。

確かに、地域の人達の中に危機感から生まれる発想力、企画力は素晴らしいものだと感じる。

そして、その取り組み(イベント)を繰り返し継続しているのだから、それも素晴らしいことだと感じる。

しかし、本当に繰り返し継続させているだけで良いのだろうか?



継続はされているが、定着したものはほんの一握りしか無いのでは無いか?


一つ例に挙げるとすれば、今はやりのB級グルメである。

そもそもが、昔から地方文化の中に定着しているものは良いとして、その地域の特色を生かしたグルメを創造しようとしたとき、それば定着する確率は非常に少ない。


なぜなのか? 

原因はいろいろあるだろうが、その一つに、グルメ創造のイベントは毎年開催するものの、グルメ自体を定着させようとする地道な運動に力が入ってないのでは無いかと感じる。

イベントが定着を産むのでは無く、人の文化に入り込んで初めて定着となる。たしかに継続させることで定着に繋がることもあるだろうが、お祭り事はあくまでもお祭りであって、人の生活に入り込んでは来ない。

やはりそのための仕掛けは必要である。

ただやり続けるのでは無い。定着させるためにどのようにやり続けるかを考えて初めて継続である。


これは仕事においても同じ事である。

プロジェクトを仕掛けることは誰にでも出来る。(能力があれば・・・)

しかし、それを継続させ、定着させるためには、その為の仕掛けが必要なのだ。

プロジェクトは何を産むためのものなのか?

定着とはどういうことなのかを、紐解けばそれは自ずと答えが出る。

定着は、それに関わる人達が何を産み、それをどうしたいのか?しっかり意識を持つとことから始まる。

関わる人達が意識をもち継続させるという地道な内容に、しっかりとプロジェクトを組んだものが定着し成功に繋がるのだ。


これこそが「継続は力なり」と強く思う

継続は創造より遙かにハードルの高いものである。













2015年1月11日日曜日

経営の表裏のバランス

先般、お世話になってる先生とミーティングをしたとき、一般的経営論のお話になった。
僕も全く同じ考え方なので、書かせていただく。


経営の役割は人に公表する表側と、しなくてよい、もしくはしてはいけない裏側のふたつがあると言うことだ。

表側とは、世間様に公表するべきよい言葉を並べた方針である。

例えば、終身雇用、顧客第一 、品質向上、地域との協調最優先、国のために、地域のために、社員の幸福な家庭の構築 、上げだしたらキリが無いくらいそんな言葉が溢れている。

しかし、その裏側に経営者の最大の役割が隠れている。

それは会社の継続である。次の経営者に、確実に繋ぐと言うことこそが、経営者の根底に流れる最大の目的、役割であると言うことだ。

表向きの経営の役割だけを追求している経営者によくお会いするが、ほぼ、皆さん迷走している。

なぜなら、表裏と表現したくらい、相反するものだからである。

表向きの役割だけを追求すると必ず、問題が生じたときに行き詰まってしまう。

そこから亀裂すら生みかねない。


裏側だけを追求すれば、会社の存続は充分望めるが、世間的に認めてもらいにくい。これも実はリスクが発生する。

僕はあえて、表側、裏側の両方を口にしているが、別に口に出さずとも、裏側をしっかりと考え、表側の限度をしっかりと決めておかなければ経営は行き詰まってしまう。

バランスが大事なのだ。


誘惑の怖さ

誘惑は、日夜を問わず容赦なく人を襲う。

その人を試すかのように襲いかかる。

それは、飲食などの物理的誘惑もあれば、人の言葉や、自分の中に起こる甘えなど精神的誘惑もある。

状況によってはそれに乗っかっても良いだろう。

ただ本当に大事なのは、その誘惑によって、自分に与えられている、

もしくは自分に科せた仕事もしくは約束の遂行に狂いを生じさせることである。


それこそが本当の甘えだ!!

2015年1月2日金曜日

楽に楽しく

ふと、友人のFBを見て思い出した。

4年前 ひょんなことから息子が在籍していた高校の育友会長を引き受けた。

それまで6年間学校のある場所はだいたい知ってはいたが、初めて足を踏み入れた。

そんな人間が…と思われるかも知れないが、ひょんな事から白刃の矢がたち、「やってみなけりゃ解らない」の精神に乗っ取り、あっさりと引き受けた。

本部役員7名 学年の役員、委員全部で総勢103名だったと思う。

うち男が2名……

色んな組織に入り、いろんな役をさせていただいたが、この構成は初めてであった。

はじめての挨拶で登壇したときメンバーを見て大変なことになったと思った。

いろんな状況でこの場に座ってる人が居るだろう。

育友会を通じて学校に協力したい人、自分が楽しみたい人、嫌々ながら引き受けた人、くじ運が悪かった人等々 いろんな表情があった。

100名近い女性の顔にそれぞれの経緯がでていた。

特に嫌々でてくれた人ははっきりと表情に出ていた。

こんな事で本当に一年間、運営できるのか?

なぜPTAや育友会ってみんな敬遠するのか? 
行動を起こす前からしんどいとか自分には無理とか考えているからではないのか?

本当にそんなにしんどいモノなのか?

僕はそんな人たちを全員やってよかったと感じて貰える運営がしたい。

その時に決めたスローガンが

「楽に楽しく!」 

である。

最初からしんどいと思えばよけいにしんどくなる。

それを払拭したいが為に、しんどい事なんてなんにもない。

みんなでやれば一人のウエイトは知れている。

皆でやって楽にこなそう!

それよりも皆でやれば楽しくなる。

学生時代のサークルのように!!

親が子供のフィールドで親同士で楽しんでいれば子はどう思うと思いますか?

精一杯、自分たちで学校を楽しみましょう!

こんな挨拶をした。

そして一年後……

「皆さん楽しみましたか?」と投げかけた。

大きな笑い声と同時に大きな返事も帰ってきた。全員が笑顔だった。

結局僕は何もしていない。

学校との折衝や対外的な仕事以外、会長としての仕事はほかに何もしていない。

その気になった他の本部役員が楽しみ、それがどんどん連鎖していった。

皆満足顔で最後を迎えた。

今、時の役員さんはどうしているだろうか? 

その子供たちは?

自分に与えられたことを苦と思うのではなく、逃げずに自分で楽しみに変えれる人達とその子供である。

今年も精一杯、楽しむに違いない

今年も皆さん一年よろしく!!