自己紹介

自分の写真

ダイビングとバイクをこよなく愛する53歳のおやじ。じっとすることが嫌いな性格はいつまでたっても変わらず。なんにでも興味を示す雑食派 人との繋がりが自分のすべてのエネルギーと信じる。日々出会い、日々学び 嫌いな言葉 マイペース 無責任

2014年12月22日月曜日

情報管理

ビジネスにおける情報は金を生む卵である。

この卵をどのように暖めるかにより孵化したり腐ったりする。


この卵、絶対に人に渡しては行けないことは誰でも解る。

ところがなぜかそんな情報が世を駆けめぐる。リークである。

リークには二種類あり 情報を誤魔化すためにわざと間違った情報をリークする。

まぁ汚いやり方だがビジネスにおいてはある話だ。

俺自身も何回も騙された。

実際、金銭的ロスを出したこともある。


さてもう一つのリークとは?


こちらは非常にやっかいだ。

ビジネスに関わる当事者がことの重大さに気づかず、ポロッとリークしていることである。

収益に直接関わる会社や部署でそれはほぼ起こらない。

起こるのは、プロジェクトの当事者ではあるが直接収益に関わらない部門や関係機関から漏れることがほとんどだ。 

実際、そんなリークで大型プロジェクトがとんだのをいくつも知っている。


これは与えられてる責任の大きさを勝手に解釈し、自分はウエイトが低いと判断したから起こりえることなのだ。

それに関わる当事者の責任の重みは全員重大であるにも関わらず、間違った判断をしてしまう。


何故なのか?


ことの重要性 責任の重みの比較対照を間違っているからにほかならない。


本来、そのプロジェクトに関わっている時点で、大きな責任を負っているにも関わらず、たかがその一員と安易に判断してしまい、自分より重い仕事をする人と比較することにより自分のポジションを勝手に下げてしまう。

プロジェクトの中を自分の世界と思い責任のポジションを下げ無意識にそれが社会のポジションと勘違いしリークにつながるのだ。

常に社会の中で置かれている自分のポジションを客観的に理解し、与えられているプロジェクトの内容をしっかり理解し、その中の自分の役割を勘違いせず遂行しなければ、全体として強烈な致命傷を生んでしまう。


あーーそうそう、マスコミの皆さん、スクープとリーク、はき違えないでくださいね。

あなたたちに情報が流れた段階で、無責任さのリークがあるんですけど、あなたたちもそれを報道するにはそれ相当の覚悟と責任があるのですよ

必要のない単語

幸せの価値観は本当に人それぞれ。

不幸の価値観も人それぞれ。

決してそれは他人が判断するもんじゃないし、また他人に押しつけるものでもない。

だからこそ手をさしのべるという行為は、簡単なものではないし、普通の人にできるもんじゃない。

手を差しのべるという行為に、少しでも差しのべる側の主観が入ってはいけない。

主観が入った瞬間にそれは、本来の意味の差しのべるにはならない。

だから故に、最高の覚悟がいるはずである。

そしてそんな覚悟を持ってる人達がどれだけいるのか・・・


まして現代のボランティアという言葉でくくるもんじゃない。

僕はボランティアの本来の意味はすばらしいと思う。

しかし、今社会が使っているボランティアは全く勘違いも甚だしい。

平和という単語と同じく使いたくない単語の一つだ。

ボランティアをするな、手を差しのべるなと言うことを言っているのではないですからね。

上段に立って手を差しのべてる、ボランティアをしていると声を出して言うものではないのですよ。

本来は、生活の中に浸透しているべきもののはずだから。

「手をさしのべる」「ボランティア」は言葉なんかなくていいことなんです。人間が生きていく上に置いて本来身につけてなければならないものですから。

この言葉が世にもてはやされるようになって、日頃の当たり前の行為すらもてはやされ、それを求めるエゴの行為が増えちゃった。

「○○さんってちゃんと周りの面倒も見れて凄いですよねぇ」

こんな言葉よく耳にするけど、これ褒めることですか?僕は当たり前のことだと思うのですよ。

こう言う他人に手をさしのべる些細な当たり前の行為を褒める人達って、自分のことどう思ってるんですかねぇ。

人間失格でしょ。


悲しい限りですね。

人間本来の生き方をしたい。

自分のできる範囲で相手がしっかりと望んでいること。双方が少しのずれもないことを日頃から提供している。

それで充分だと思う。

それが本来の意味だと僕は思っている。

それを超えた行為、それには本当に相当の覚悟がいる。損な覚悟を持って手をさしのべてる人、ボランティアをしている人がどれだけいるのか?

唯一背伸びをしてはいけない人間の行為、行動だ。




2014年12月13日土曜日

〇〇みたいな性格と言う表現

ここ数年、本当に良く耳にするのが「〇〇みたいな性格」と人のことを表現する言葉である。

自らが発する人もいれば、他人が人を表現するときもある。

たとえばそれが、「ライオンのような勇ましい性格」「猫みたいな神経質な性格」と言うように動物などにたとえらるのは、イメージを相手に巧く伝えるという方法として理解はできる。


しかし、良く耳にするのが、女性が「私、男みたいな性格だから・・・」と自らを表現することである。

つい先日も、とある女性が口にした。本当に良く耳にする。

僕はこれに非常に違和感を感じる。

確かに、言おうとする意味はわからなくも無い。

しかしそれは、男性から見て感じることであって、またその感じ方もそれぞれの男性によって変わるはずである。

なぜ、その人達は、自らそのような表現をするのだろうか?

逆に、「女性みたいな性格だろう」と言う男性には出会ったことは無い。

女性の社会進出が増えてきた中で出てきた言葉なんだろうが、率直に言って、僕は感心しない。

男性みたいな性格の女性であっても、それは女性であり、男性にはならない。

男性のように振る舞わなければ社会は認めないからそのような表現をするのであれば、それは、偏見で有り、またそのようにしか見てない男性側にも問題はある。

男女平等とは、女性は男性のようになれ、男性は女性のように振る舞えと行っている言葉では無いはずである。

女性はあくまでも女性らしさを追求して欲しい。

もしそれが足りないのであれば、男性らしいという言葉で終わらせるのでは無く、足りない部分を追求するぐらい、自分の性に誇りを持って欲しいと思う。

あくまでも私見であるが、素晴らしい女性らしさを持って、それを誇りとして社会の第一線で活躍している女性も多くいるし、その人達に男性らしさを感じることはまず無い。

それこそ、男性が持ち合わすことが絶対に無い人間としての色気では無いのか?

これは決して外見のことを言っているのでは無い。内面の話である。

だからこそ、お互いを男女と認めた上で、人間としてのビジネスパートナーとして学びあえるのでは無いか?と思う。


あ〜〜〜外見の色気だけを使うのは、もってのほかですけどね。これは勘違いも甚だしいし、醜いね。

これを読んでくれた男性諸君も、馬鹿な偏見で頑張ってる女性を見るのは辞めましょうね


2014年12月12日金曜日

孤独を楽しむ

WE RIDE ALONE

俺らは一人で走っている

孤独を恐れず、孤独を楽しめ

一人で走っているからこそ手をつなぎ合えるんだ

孤独を知っているものはタフで、そういう人間の手は本当に暖かいもんだよ」

とあるバイク雑誌より


全てに通じると思いませんか?

人間の生き方ってこれですよね。僕はそう思う!!

一人ひとりがしっかり頑張ってるからこそ、手を握りあえる仲間が増えていく。

寄りかかっていては駄目だよね



2014年12月6日土曜日

個人のリスク回避がもたらすもの

守りに入るためにリスクを負わない。
嫌な事に巻き込まれたくないからリスクは負わない・・・

なんか違うでしょ。
それを一生懸命正当化している人がいる。
それはリスクに向かっていてるのではなくて、リスクを負うというリスクに立ち向かってるだけで、なんの解決にも役にも立たない。

別に否定はしないけどね。

でも、どんどん置いてかれますよね。
端から見てたら、ものすごくよくわかる。
周りは成長しててもその人は立ち止まってるもんね。
ちゃんとリスクを負いながら守る方法はあるのに、それを考えようとしない。
嫌なことを解決したら、次の自分が見えるのに。
もったいないよね。

あっ、一番多いのは、いろんな事にチャレンジしてリスクなんか怖くないと言いながら、絶対リスクの方に行こうとしない人。

そんな人に限って、リーダーぶってる。

昨日、とあるリーダーに組織の相談を受け、そういう人達の対処法を伝授。
えらそうにいっているが僕の周りもそんな人非常に多いし、完璧に解決できていないんだけどね。
答えは簡単なんだけど、解決は非常に難題なんだ。


リーダーの本来するべき役割。皆さんなんだと思います?
手段手法ではなく、目的としての役割・・・

あっ、ここで言ってるリスクとは個人のリスクであって、組織のリスクではありません。あしからず

 組織におけるリスク回避は優先事項です。

2014年12月4日木曜日

事が終わったとき独りでやる振り返り!!

何事もケリが着いたときに何が残ったかよく解る。
 
プロジェクトを解散するとき、それに関わった人達に何が残ったか!

プロジェクトの成果は別として・・・


それは人それぞれであるが、人によって大きなばらつきがあるし、中身も全然違う。

当然その人のそれに対する思いや意気込みで何をつかむかはかわる。
つかむ内容は、知識、経験、人間(交友関係)・・・・・・

多岐にわたるが、総てのことに言えるのは、それは、そこに集った人達から得たものであると言うことだ。

そうでないように見える物も、例外なく、他人から得た物なのだ。

もしくは,他人との人間関係の中から身についた物なのだ。

だからこそ、そのプロジェクトが終わったときに、自分は何を得たのかをしっかりと考察して欲しい。

それは、他の人達の貴重な経験の中から生まれていることが多いのだから・・・


想像もしなかったことを身につけていることが良くあるよ。


しっかりと振り返らないと気がついてないこと良くありますよ

人間関係

人を思う気持ちが、相手の行動から感じられなければ、その人間関係は終わる。

伝わらな理由はふたつ。

相手が発信していないか、自分が感じようとしていないか。

相手の立場にたたずに、自分の主張をしていると感じれば、その関係は終わっている。

それは、つきあいの浅い深いに関係ない。

親しい関係であれば、適当で良い・・・はずがない。

親しい関係であれば、何を言っても良い・・・はずがない。

親しい関係であれば、と言う言葉自体が必要ないと思う。

人間関係に親しいも親しくないも関係ない。


人間関係は難しい

2014年12月1日月曜日

だから人間なのか?

人はいろんな立場を持っている 

いわゆる外の顔である。厳密に言うと立場を構築する顔である。

そしてもう一つ それとは別で 個人を構築するうちに秘めたる顔がある。

この二つの顔、あなたはどこまで一緒ですか? ほとんどが別ですか?

違っていて当たり前なのだが、一部融合する部分がある。

これがやっかいだ。

片方で必要なく捨てたい自分がいるのに他方で必要とする自分がいる。

その何とも言えない感覚が周りにも自分にも悪い影響を及ぼしている。

捨て切れたらものすごく楽なのに…

自分にお人好しなのか?

よくわからない。

だから人間なのかなぁ?