2014年11月9日日曜日

相対と絶対

ガリレイやアインシュタインの相対性理論を語るつもりは無いが、最近、相対性理論を改めて勉強をしたときに、ふと思ったことがある。

それについて書いてみたい

アインシュタインの相対性理論は、時間と空間は縮み、光の速度はどのような状態でも一定であるという大方世間の想像とは違う根拠からスタートしている。

ある意味、常識を疑ったところから、相対性理論はスタートしたのだ。

では相対とは、どういうことなのか?
「他との関係の中で成り立つもの」

絶対とは
「他との関係性や、比較を必要としないもの」

と定義されている。

絶対的考え方の人は、自分の理論だけで物事を考え、それを実行に移していこうする。

その事柄が、世間の総てに影響を及ぼさないのであれば良いのだが、今我々が生きている社会はそんな生ぬるいものでは無い。

たとえ人に影響を及ぼさなくても、地球に存在する何かには必ず影響が出るはずだ。

なぜそうなるのか? 

実は無意識のうちに、我々人間は地球上の総ての物と相対的関係が成り立っているからなのだ。

宇宙空間における物理的関係だけでは無く、人間の思考や行動の中にも相対的関係は存在する。

それを前提に自分の思考を動かさなければならない。

ただそればかりを考え出すと、何もできなくなってしまうのも事実である。

確かに相手のことを最優先に考える必要は無い。

まず自分の考えをしっかり持てば良い。

しかし行動に移す前に、その事柄を実行に移せば周りにはどのような影響が出るのかしっかりと考えの中に入れなければならない。

やろうとすることが大きければ大きいほど、他に影響は出やすい。

そのことをしっかりと認識しておかなければならないのだ。


日本には、お互い様と言う言葉があるが、これとは少しニュアンスが違う。

相手を尊重するということでも無い

お互い様なんだから、やりたいことをやれば良いのでは無い。

相手を尊重して意見を聞き入れるということでも無い・・・・・


スタートをさせる段階で、他にも影響が出ることを考慮に入れ、他との関係の中で成り立つ物は何なのかをしっかりと見極め行動に移さないと行けないのだ。

自分が生きているということは、他人も自己の考え方を持って生きているということなのだから・・・・

うまく表現できないなぁ・・・・







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