今の自分が持っている知識や常識ってどうやって身についたのか?
人間は、生まれてきた瞬間は、無の状態である。
生命学的には、動作をしているが人間としての知識は全く、無の状態である。
いわゆる他の動物と同じ状態である。
そして、生まれた瞬間から、人間は知識の蓄積をはじめる。
それを直ぐにアウトプットするかどうかは少し横に置いておいて、触覚、聴覚、味覚、感覚 (視覚)を用いて、あらゆる知識を蓄積していく。
そしてそれがいずれ、表現になって現れ出す。
喋るや、泣く、怒るなんかがそれである。と言うように、人間は、無の状態から経験を積むことにより情報を蓄積し、その積み重ねにより、個人の人格の形成を行い、自分自身の常識というものを形成していくのだ。
ある意味個人の経験が、大人になったときの身体的違い以外の総て形成していると言って良い。
人の違いは、その人が歩んできた経験の違いである。
そしてその経験や学びの多くを、親から授かる。
一部、事情を除き、殆どが親から学ぶのだ。
当然、年齢を重ねるにつれ、親からの学びの比率は低くなっていくが、小さいときの人間としての道徳心や、基本となる常識は親から学ぶことが殆どである。
言い換えれば、その人間の殆どは親が決めていると行って良い。
親なのだから当たり前と思うかもしれないが、人ひとりの人生の殆どを親が決めてしまうと言うのは実はものすごく重い責任なのだ。
それだけ子を持つ親は、その責任を感じなければならない。
もしその親が、世間の常識とは違ったことを常識と感じていれば、その子供も間違った常識を正しいと感じてしまう。
これは常識的知識だけでは無い。行動も同じである。
子を育てる親として、常に自らの成長を追い求めることが、しいては子供の将来を大きく左右することになると言うことを自覚するべきなのだ。
成長を追い求める親と、成長を億劫に思う親の違いも見て解るが、それぞれの子供はもっと大きな差になって現れる。
それだけ人間が生き、子孫を残していくと言うことは責任重大なことである。
自分の成長、追いかけてますか? 頑張らなければ、子供に不幸が降り注ぎますよ。
頑張れ!! 親!!!
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