あなたの尊敬する人は誰ですか?
あなたの目標としてる人はどんな人ですか?
こういう質問を投げかけられたことがあるだろう
あなたはどう答えますか?
僕は、尊敬する人は居ても目指す人は、居ませんと答えることにしている。
僕は尊敬の言葉の中に、あこがれという抽象的な言葉を含めている。
これは決してそれを目指すと言うことではなく、その人の業績に対する敬意であり、自分のそう思われる人間になれればいいなぁと言うあこがれである。
決してしてそれが目的や目標になることはない。
それに対して、目標とする人。
これはもう、言葉の通りである。
自分のそこにたどり着きたい。という強い願望がある。
ここで注意しないといけないのは、永遠の目標にしてしまってはいけないと言うことだ。
目標となる人と決別できる自分が居なければならない。
これは決して物理的に縁を切るということを言っているのではない。
目標となる対象物は、自分の環境の変化や成長により変化して当たり前だからだ。
たとえば目標としている先輩が居る。
先輩であるから年齢を追い越すことはできない。
しかし、自分の経験の積み重ねで、人間的にその先輩を超えることは十分に可能である。
超えてしまったときにそれはもう目標でなくなる。
それに気づかず、まだ追いかけて訳がわからなくなり躊躇してしまってる人を見かける。
僕はそういう意味で、目標という人は居ないと答える。
実際はいてるんですよ。
でもね口に出しちゃうと言霊でしょ
目指す対象者にその意思を伝えると、その人物が対象で無くなったときに相手は必ず気づきますからね。
人間関係の崩壊になりかねない・・・・・
最近、自分より年下に目指すべき人間が出てきた。
歳を取ってきた証拠か・・・・それともどこか気の緩みがあるのか・・・
それよりも自分が他人の目標の対象者になったとき、追い抜かれないように成長し続けないといけないプレッシャー・・・・
快感もあるが、重いよね
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