2014年6月28日土曜日

与えるものの自己犠牲

与えるということ。

この言葉には多くの自己犠牲が含まれている。

与える側には、与えてもらう側には決して見えない犠牲が存在している。

お互いがその意味をわかった時のみ、与え合うという相互作用が存在する。

実はこれはほとんどの場合成り立っていない。

なぜなら、相手の産みの苦しみを知ろうとしないし、知ったところで全てを知ることは出来ないからだ。


では、相互作用は起こらないのではないか?

実はそんなことはない。

実際には、お互いがわかりあった上で 相互作用は成り立っている。

それは、知る出来ない部分を、相手を思いやる気持ちでカバーできるからだ。

学ぼうとする側にこの姿勢が見られなければ、教えたとしても、その全ては学ぶことは出来ないものだ。

表面を学んで、良しとしている人には絶対その全てをマネすることは出来ない。

昨日もその重要性をものすごく実感できた。

刺激しあい、分かり合える仲間がまた増えた

日々、人に感謝、自分に感謝




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