この言葉には多くの自己犠牲が含まれている。
与える側には、与えてもらう側には決して見えない犠牲が存在している。
お互いがその意味をわかった時のみ、与え合うという相互作用が存在する。
実はこれはほとんどの場合成り立っていない。
なぜなら、相手の産みの苦しみを知ろうとしないし、知ったところで全てを知ることは出来ないからだ。
では、相互作用は起こらないのではないか?
実はそんなことはない。
実際には、お互いがわかりあった上で 相互作用は成り立っている。
それは、知る出来ない部分を、相手を思いやる気持ちでカバーできるからだ。
学ぼうとする側にこの姿勢が見られなければ、教えたとしても、その全ては学ぶことは出来ないものだ。
表面を学んで、良しとしている人には絶対その全てをマネすることは出来ない。
昨日もその重要性をものすごく実感できた。
刺激しあい、分かり合える仲間がまた増えた
日々、人に感謝、自分に感謝
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