2014年6月28日土曜日

覚悟の安売り

先程は、覚悟を持った行動の取らせ方について書いた。

今度は行動を起こす本人側についての注意事項である。

これも厄介なんだよ。

覚悟を持った行動・・・先でも書いたように、覚悟とは責任をとるということ

この行動を受けた側の身になってみよう。

覚悟を持った行動だからこそ、しっかりと受け止めなければならない。

覚悟を持った行動の意味をわかり実際にしてきた人程、必死に答えてやろうとする。

が、たまに、自分からハシゴを外しちゃう人がいる。

やっぱり無理!と言って断念しまう。ちょっと待て!覚悟を決めたのではないのか?

出てきた答えが少し違うからとやめちゃうのか?

しっかり受け止め、それに対して答えようと覚悟を決めた人たちもいるはずだ。

それじゃぁ、覚悟決めたことにはならないよ。

覚悟を決めた以上は、とことんやり切ろうよ。少々迷惑かかっても・・・

自分の覚悟をそんな簡単なもんじゃないだろう。

覚悟の安売りが非常に多い

残念!!






覚悟を持った行動

2014年6月27日 三法よしカンファレンス in 広島において、

覚悟を持った行動とはどういうものなのかという論点になった。

覚悟とは? 自分が責任をとると決めること。(自分の定義)

その行動をとるということは、自分で責任ある行動をするということ。

ここまでは理解はできる。

ではその行動を取らせるためにするべきことは?

これが難しい

北海道のM君(真坂君)が、

人の信頼を後ろ盾にできる人間関係の構築

決してハシゴを外すようなことはなく、一歩を踏み出した人間をしっかりサポートし、見守ることが、覚悟を持った行動を取らせる一歩ではないかと説いた。

なるほどその通りだ。

怖くない!一歩を踏み出せといったところで、それを後押しするものや、待ち受けるものが、いい加減であれば、そんな勇気もうまれないし、万が一失敗した時にはより臆病者を作ってしまう。

結局は明確な答えはなく、いい加減で無い当たり前の人間関係が、他人の行動の第一歩を作るということだ。


人を大きくする5次元の要素

昔も書いたかもしれないが、人間の処理能力を器や懐に例えることがある



あいつは器がでかい とか小さいとか

懐が浅いとか深いとか

これって、誰が決めるのか?

決して自分ではないはずだ。

自分で決めてしまえばもうその人はそこで成長が止まってしまう。

人の器や懐は、実は、人に依存されているものなんだ。

人の期待があるから、人から頼られているから、人が必要としてくれているからこそ、人間は成長する。

その度に器が大きくなり懐が深くなる。

では、期待や、信頼はまっててくるものなのか?

決してそうではない。

やはり日頃の自分の行動が信頼や期待を生む。

それも縦横無尽、老若男女から期待されるような人物になるには、相当の努力がいる。

しかし、全ての方面からの期待や信頼は、必ず自分のものとなる。そしてまた、新しいフィールドの信頼や期待を得る。

これが人間の成長だ。

そして成長を遂げるためには、柔軟な心がけが必要である。

貪欲さ、体力、時間、見識の幅、見識の深さ。

この5次元が人間を成長させる要素である。どれがかけてもダメだ





与えるものの自己犠牲

与えるということ。

この言葉には多くの自己犠牲が含まれている。

与える側には、与えてもらう側には決して見えない犠牲が存在している。

お互いがその意味をわかった時のみ、与え合うという相互作用が存在する。

実はこれはほとんどの場合成り立っていない。

なぜなら、相手の産みの苦しみを知ろうとしないし、知ったところで全てを知ることは出来ないからだ。


では、相互作用は起こらないのではないか?

実はそんなことはない。

実際には、お互いがわかりあった上で 相互作用は成り立っている。

それは、知る出来ない部分を、相手を思いやる気持ちでカバーできるからだ。

学ぼうとする側にこの姿勢が見られなければ、教えたとしても、その全ては学ぶことは出来ないものだ。

表面を学んで、良しとしている人には絶対その全てをマネすることは出来ない。

昨日もその重要性をものすごく実感できた。

刺激しあい、分かり合える仲間がまた増えた

日々、人に感謝、自分に感謝