2014年5月22日木曜日

戦争の後戻り

世界中で起こっている戦争や紛争。

2次対戦以降、一部を除いて行われている戦争は、宗教戦争である。

確かに戦争は良くないことであるが、宗教戦争は、人の心の拠り所、思想に関する争いごとであるがゆえに無くなることのない争いなのだ。

日本から見れば、なんで?

と思うかもしれないが、世界中からみた時には、これはごく自然なことである。

日本は宗教に対しての考え方が、世界中でも稀に見るくらい希薄である。

争うくらいなら宗教を捨ててしまうと平気で思っているだろう。

しかし世界中の人にとって、宗教とはそんなものではない。だからこそ、争いが起こるのだ。

しかし、ここに来て、宗教に依存しない争いが増えてきた。

中国と、ロシアである。

戦争が起こる要因に、宗教意外に人種と領土がある。

人種争い、領土争い。これはともに人間のエゴである。

今更、この時代に、平気でそれが通用し、大国ゆえの正論が通用すると思っているのか?

馬鹿としか言いようがない。

こう言えば昔のアメリカもそうだったと言うバカがいるが、時代背景を読めない単なる戯言である。

あーーー嫌だ

宗教戦争がなくなるのは、それ以上の脅威が発生したときのみである。たとえば宇宙人が地球を攻撃し、地球防衛軍が配備されるとか・・・。

しかし争いはなくならない

戦争賛成論者ではないですからね


2014年5月20日火曜日

攻撃的補完関係

単なる知人の付き合いでは無く、

人の人生に関わるお付き合い

決して、恋愛のことを言っているのでは無い
 
人が生きていく上での、その人の人生を左右するような影響力を持つ人間関係を築いているお付き合いのことを言っている。

確かに恋愛も入るかも知れない。

それはそれ相当の覚悟がいること。

だからといって、避けてはいけない。

何故なら、知人以上の付き合いならお互いの人生に大きく関わるのが当たり前だからだ。

だからこそ、そっと見守るのでは無く、自分が相手にできるできる最大限のことをしなければならないのだ。

それがその人にとって瞬間マイナスに働くかも知れない。

しかし永遠マイナスはない。

特にその人がポジティブな人間であればそれはなおさらだ。

だからこそ、全力で人の人生に関わり続けなければならない。

自分ができる最大の行動をしてあげるべきなのだ。少しも怠ってはいけない。

それがお互い、最高の人生を歩む近道のはずである。



そんな嬉しい報告を昨日受けた。 


2014年5月15日木曜日

閉鎖空間からの脱出が建設業の課題

建設業は、最近まで、閉鎖空間の中で成長してきた。

特に、地域における建設業は大手よりもその意味合いは大きいだろう。

そしてその閉鎖空間が、ここ最近の建設業の信頼を大きく地に沈めてしまっている。

官製談合、政治家との癒着、耐震偽装 数え出したら切りが無いくらいの問題も確かに起こしてきたが、起こした問題以上のダメージを受けている要因は、この閉鎖空間にあるのではないか?

世間から見れば建設業は闇の中で、何をしているのかよくわからないのが、ダメージを大きくしているのではないか?

閉鎖空間の一つが、物理的な建設現場である。

建設現場は、塀で囲まれ、まるで中は見えなくなっている。

建設業サイドから見れば、地域住民の安全の確保、埃や騒音の環境に対する配慮となるのだが、

関係者以外からは、中で何をしてるのかわからない。闇の闇の空間となっているのではないか?


第二の閉鎖空間、それは、建設関係者の心の中にある閉鎖空間だ。

どうせ理解してもらえないから、解放するのは無駄だ。と言う意識だ。

言葉で言うより、技術で良いものを仕上げるのが自分たちの最大の役割でそれが最大の貢献となる。と勝手に思ってはいないか?

確かに一概に間違いではないだろうが、決してそれが全てではない。

人を遠ざけることにより本来考えなければならない真の目的をあやふやにしていないか?

それが人のマンネリを産んでいないか?

人の本気の重みは時間が経つに連れ、薄れて行く。

しかし人間は薄れていることに気がついていない。自然と薄れているから、本気で考えなくなり、気がつけば、気持ちの入っていない「やっているだけ」と言うマンネリを生んでしまうのだ。

維持するためには、意識的な刺激が必要だ。そうすることにより、マンネリから抜け出すことができる

人を遠ざけることで、意識的刺激がなくなり、本気さが薄れ、マンネリが生まれる。

これがある意味、建設業者の心の中に閉塞空間を助長させるルーチンとなっているのではないか?


今建設業に必要とされているのは、建設業に対する理解だ。

そしてその理解を勝ち取るためには、閉鎖空間からの脱皮しかない

やれ建設業の信頼の回復だ。やれイメージアップだと全国でありとあらゆる手法で国民にアプローチをかけているが的確に効果が出ているものはほとんどない。

原因は、手法にあるのではなく、もっともっと根本に存在しているのだ。

そのためにも閉塞空間から脱皮し、物理的にも精神的にも国民に対して解放して行くことが必要である。

そこに、建設業がが抱える問題の解決の根本があるように感じる。

では開放の手法とは何なのか?

物理的にも心理的閉鎖空間も決してリスクの高いものでは無い。

保守的に考えれば、否定論から入り何もできない。

それこそ、些細なことからで良いではないか!

具体的手法はそれぞれが考えよう。

そこにはリスクなんてないはずだ。

やりましょうね。











優しい言葉と本音の言葉

優しい言葉は誰でもかけることができる。

優しい言葉はその言葉に気持ちが無くても相手を惑わせる。

だから優しい言葉は本音が伝わりにくい。

しかし、世の中には優しい言葉があふれている。

優しい言葉をかけるのが相手に対する気遣いだと思ってる人が非常に多い。


まやかしだ


本音の言葉とはどうしても厳しい言葉になる

本音の言葉とは相手を傷つけるけることもある

しかし、その意味がしっかり伝われば相手を成長させることができる。

だから、信頼関係は倍増する。

にもかかわらず、世の中は本音の言葉が殆ど無い。

こんな本音で無い作られた社会に人間は満足している。

端から見てるとちゃんちゃらおかしい 

2014年5月10日土曜日

出会いは感動に!!

人は生きていく上で、必ず多くの人と出会う。

出会いがその人の人生かもしれない。

だからこそ一つ一つの出会いは非常に重要である。

当然意味ある出会いをするために大切なのは自分である。

出会いとは与えてもらうものではなく与えあうものだ。

すばらしい出会いをするためにはまず自分が相手に素晴らしいと思ってもらわなければならない。

そんなベクトルがあったときに初めてお互い様の素晴らしい出会いが生まれる。

そんなことを感じる出来事があった。

役職ではなく人として、その人の気持ちとして出迎えたいただいた。

公務を抜けてきてくださったそうだ。

たった一回東京でお会いしただけなのに…でも出会いとはそういうもの 

回数ではない。

その時どれだけ深く気持ちを交錯させることができたかが大切だ。

会場入り口で、
「社長に逢いたいから待ってました」

大学の先輩でもある方にそんな言葉をいただきガッチリ握手させていただいた。

もうそれだけで胎内まで来た甲斐がある 





人と人との繋がりや縁 

言葉だけではなくそれをどのように実にするか また実にしてもらえるか それが大切だ。

そしてそれは人の行動力しかない。

今回の新潟の訪問はそれを肌で感じるためにやってきた。

ほんのちょっとした縁を行動に移し、それを全力で受け止める。

お互いの行動力があって初めて実となる。

誇り高き仲間たち 

僕は僕なりの感動を感じに来ました。

個人の意味不明な書き込みかもしれません。


2014年5月2日金曜日

仮面

どうも最近惑わされている。

相手にしなくていい人間に感情が振り回されている。ほっとけばいいのに・・・・

そんな自分に腹を立てている。

情けない。

自分がまだ確立できてない証拠だ。

なぜ人間は仮面ばかりかぶって人付き合いするんだろうか?

仮面をかぶったもん同士の付き合いって人間づきあいなんだろうか?

そこから何が生まれるのだろうか?


仮面をかぶってる人にも、本音で接してる人と同じように時間を使わないといけないのか?

仮面を被りすぎて、それが自分だと勘違いしている人が山ほどいる。

でも本人は気づいていない。

それを優しさとか正直とかいう。

違うでしょ。

自分の本心は必ず行動や言動に出るんだから、仮面をかぶってる意味がないと思うのだが!

ではなぜ、人は仮面をかぶりたがるのか?

かっこつけ?願望?・・・・・・・・

そういう人を見てるとむしずが走ってしまう。

ここまでわかっているのに、腹立たしい

なんか変なループだ・・・・・