2014年2月2日日曜日

男女とは

男性は男性として、女性は女性として、それぞれの尊重は必要である。

しかし、それだけではダメなんだ。

男性、女性だけではなく、人間としての見方が大切である。

それは決して、男性女性という性で分けられるものでなく、生きて行く上に置いての必要なファクターであると考える。

男性と女性という性だけで区別をして、世の中を生き抜いて行こうとすると、無理が生じる。

何よりも視野を思いっきり狭めてしまう。

一人間として接することができれば、対象者は世界中に広がる。

しかし、男女という、性ありきで判断するとそうはいかない。

恋愛の問題、性的被害の問題、人間としてのドロドロとした部分が、いきなり表に噴出してくる。

それを拒否することにより、人間という大きな枠から、同性が楽であるという閉鎖的空間で判断しなければならなくなる。

勿体無い限りだ。これは女性に多く見られる光景だが、実は女性に限ったことではない。

男性側にも、別の意味で閉鎖的空間は存在する。いろんな意味のハラスメントが世に多くあるが、それを意識しすぎるということだ。

意識しすぎるがために、女性を遠ざけてしまう人が多い。確かにハラスメントはいけないことではあるが、本当にそこまで意識して、敢えて視野を狭める必要があるのだろうか?

そこにも、性を意識するから起こる問題ではないのか?


なぜ、人間として付き合えないのか?

よく、男女間に、友情がありえるか?とか、性を意識しない付き合いは存在するかという馬鹿げた質問がある。

僕は十分あり得ると思っている。

ただし絶対ないかというとそうではない。

なぜなら、男女の意識や感情は、時間軸の中で語られるものであり、経過とともに、変化して行くものと考えているからだ。

これって当たり前ではないですか?

人間として付き合い、それがいずれ性的感情として男女を意識するようになってもそれは自然であり、また、永久に意識しない関係であってもそれは不思議ではないのだ。

事実、そんな関係をうまく構築している男女は数多くいる。

逆に、最初からそれを意識して、拒否したり、構えてしまう方が不自然であり勿体無くてしようがない。

性を問う前に、まず人として、そしてその次に、その人が、何をしている人なのか(決して役職ではなく)を考えて付き合えばいいと思う。

あーーー一つ勘違いしてはいけないのは、一般的男女の意識はしないとダメですよ。

男女は物理的に作りが違うわけですからね。

意味わかりますよね。

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