自己紹介

自分の写真

ダイビングとバイクをこよなく愛する53歳のおやじ。じっとすることが嫌いな性格はいつまでたっても変わらず。なんにでも興味を示す雑食派 人との繋がりが自分のすべてのエネルギーと信じる。日々出会い、日々学び 嫌いな言葉 マイペース 無責任

2014年12月22日月曜日

情報管理

ビジネスにおける情報は金を生む卵である。

この卵をどのように暖めるかにより孵化したり腐ったりする。


この卵、絶対に人に渡しては行けないことは誰でも解る。

ところがなぜかそんな情報が世を駆けめぐる。リークである。

リークには二種類あり 情報を誤魔化すためにわざと間違った情報をリークする。

まぁ汚いやり方だがビジネスにおいてはある話だ。

俺自身も何回も騙された。

実際、金銭的ロスを出したこともある。


さてもう一つのリークとは?


こちらは非常にやっかいだ。

ビジネスに関わる当事者がことの重大さに気づかず、ポロッとリークしていることである。

収益に直接関わる会社や部署でそれはほぼ起こらない。

起こるのは、プロジェクトの当事者ではあるが直接収益に関わらない部門や関係機関から漏れることがほとんどだ。 

実際、そんなリークで大型プロジェクトがとんだのをいくつも知っている。


これは与えられてる責任の大きさを勝手に解釈し、自分はウエイトが低いと判断したから起こりえることなのだ。

それに関わる当事者の責任の重みは全員重大であるにも関わらず、間違った判断をしてしまう。


何故なのか?


ことの重要性 責任の重みの比較対照を間違っているからにほかならない。


本来、そのプロジェクトに関わっている時点で、大きな責任を負っているにも関わらず、たかがその一員と安易に判断してしまい、自分より重い仕事をする人と比較することにより自分のポジションを勝手に下げてしまう。

プロジェクトの中を自分の世界と思い責任のポジションを下げ無意識にそれが社会のポジションと勘違いしリークにつながるのだ。

常に社会の中で置かれている自分のポジションを客観的に理解し、与えられているプロジェクトの内容をしっかり理解し、その中の自分の役割を勘違いせず遂行しなければ、全体として強烈な致命傷を生んでしまう。


あーーそうそう、マスコミの皆さん、スクープとリーク、はき違えないでくださいね。

あなたたちに情報が流れた段階で、無責任さのリークがあるんですけど、あなたたちもそれを報道するにはそれ相当の覚悟と責任があるのですよ

必要のない単語

幸せの価値観は本当に人それぞれ。

不幸の価値観も人それぞれ。

決してそれは他人が判断するもんじゃないし、また他人に押しつけるものでもない。

だからこそ手をさしのべるという行為は、簡単なものではないし、普通の人にできるもんじゃない。

手を差しのべるという行為に、少しでも差しのべる側の主観が入ってはいけない。

主観が入った瞬間にそれは、本来の意味の差しのべるにはならない。

だから故に、最高の覚悟がいるはずである。

そしてそんな覚悟を持ってる人達がどれだけいるのか・・・


まして現代のボランティアという言葉でくくるもんじゃない。

僕はボランティアの本来の意味はすばらしいと思う。

しかし、今社会が使っているボランティアは全く勘違いも甚だしい。

平和という単語と同じく使いたくない単語の一つだ。

ボランティアをするな、手を差しのべるなと言うことを言っているのではないですからね。

上段に立って手を差しのべてる、ボランティアをしていると声を出して言うものではないのですよ。

本来は、生活の中に浸透しているべきもののはずだから。

「手をさしのべる」「ボランティア」は言葉なんかなくていいことなんです。人間が生きていく上に置いて本来身につけてなければならないものですから。

この言葉が世にもてはやされるようになって、日頃の当たり前の行為すらもてはやされ、それを求めるエゴの行為が増えちゃった。

「○○さんってちゃんと周りの面倒も見れて凄いですよねぇ」

こんな言葉よく耳にするけど、これ褒めることですか?僕は当たり前のことだと思うのですよ。

こう言う他人に手をさしのべる些細な当たり前の行為を褒める人達って、自分のことどう思ってるんですかねぇ。

人間失格でしょ。


悲しい限りですね。

人間本来の生き方をしたい。

自分のできる範囲で相手がしっかりと望んでいること。双方が少しのずれもないことを日頃から提供している。

それで充分だと思う。

それが本来の意味だと僕は思っている。

それを超えた行為、それには本当に相当の覚悟がいる。損な覚悟を持って手をさしのべてる人、ボランティアをしている人がどれだけいるのか?

唯一背伸びをしてはいけない人間の行為、行動だ。




2014年12月13日土曜日

〇〇みたいな性格と言う表現

ここ数年、本当に良く耳にするのが「〇〇みたいな性格」と人のことを表現する言葉である。

自らが発する人もいれば、他人が人を表現するときもある。

たとえばそれが、「ライオンのような勇ましい性格」「猫みたいな神経質な性格」と言うように動物などにたとえらるのは、イメージを相手に巧く伝えるという方法として理解はできる。


しかし、良く耳にするのが、女性が「私、男みたいな性格だから・・・」と自らを表現することである。

つい先日も、とある女性が口にした。本当に良く耳にする。

僕はこれに非常に違和感を感じる。

確かに、言おうとする意味はわからなくも無い。

しかしそれは、男性から見て感じることであって、またその感じ方もそれぞれの男性によって変わるはずである。

なぜ、その人達は、自らそのような表現をするのだろうか?

逆に、「女性みたいな性格だろう」と言う男性には出会ったことは無い。

女性の社会進出が増えてきた中で出てきた言葉なんだろうが、率直に言って、僕は感心しない。

男性みたいな性格の女性であっても、それは女性であり、男性にはならない。

男性のように振る舞わなければ社会は認めないからそのような表現をするのであれば、それは、偏見で有り、またそのようにしか見てない男性側にも問題はある。

男女平等とは、女性は男性のようになれ、男性は女性のように振る舞えと行っている言葉では無いはずである。

女性はあくまでも女性らしさを追求して欲しい。

もしそれが足りないのであれば、男性らしいという言葉で終わらせるのでは無く、足りない部分を追求するぐらい、自分の性に誇りを持って欲しいと思う。

あくまでも私見であるが、素晴らしい女性らしさを持って、それを誇りとして社会の第一線で活躍している女性も多くいるし、その人達に男性らしさを感じることはまず無い。

それこそ、男性が持ち合わすことが絶対に無い人間としての色気では無いのか?

これは決して外見のことを言っているのでは無い。内面の話である。

だからこそ、お互いを男女と認めた上で、人間としてのビジネスパートナーとして学びあえるのでは無いか?と思う。


あ〜〜〜外見の色気だけを使うのは、もってのほかですけどね。これは勘違いも甚だしいし、醜いね。

これを読んでくれた男性諸君も、馬鹿な偏見で頑張ってる女性を見るのは辞めましょうね


2014年12月12日金曜日

孤独を楽しむ

WE RIDE ALONE

俺らは一人で走っている

孤独を恐れず、孤独を楽しめ

一人で走っているからこそ手をつなぎ合えるんだ

孤独を知っているものはタフで、そういう人間の手は本当に暖かいもんだよ」

とあるバイク雑誌より


全てに通じると思いませんか?

人間の生き方ってこれですよね。僕はそう思う!!

一人ひとりがしっかり頑張ってるからこそ、手を握りあえる仲間が増えていく。

寄りかかっていては駄目だよね



2014年12月6日土曜日

個人のリスク回避がもたらすもの

守りに入るためにリスクを負わない。
嫌な事に巻き込まれたくないからリスクは負わない・・・

なんか違うでしょ。
それを一生懸命正当化している人がいる。
それはリスクに向かっていてるのではなくて、リスクを負うというリスクに立ち向かってるだけで、なんの解決にも役にも立たない。

別に否定はしないけどね。

でも、どんどん置いてかれますよね。
端から見てたら、ものすごくよくわかる。
周りは成長しててもその人は立ち止まってるもんね。
ちゃんとリスクを負いながら守る方法はあるのに、それを考えようとしない。
嫌なことを解決したら、次の自分が見えるのに。
もったいないよね。

あっ、一番多いのは、いろんな事にチャレンジしてリスクなんか怖くないと言いながら、絶対リスクの方に行こうとしない人。

そんな人に限って、リーダーぶってる。

昨日、とあるリーダーに組織の相談を受け、そういう人達の対処法を伝授。
えらそうにいっているが僕の周りもそんな人非常に多いし、完璧に解決できていないんだけどね。
答えは簡単なんだけど、解決は非常に難題なんだ。


リーダーの本来するべき役割。皆さんなんだと思います?
手段手法ではなく、目的としての役割・・・

あっ、ここで言ってるリスクとは個人のリスクであって、組織のリスクではありません。あしからず

 組織におけるリスク回避は優先事項です。

2014年12月4日木曜日

事が終わったとき独りでやる振り返り!!

何事もケリが着いたときに何が残ったかよく解る。
 
プロジェクトを解散するとき、それに関わった人達に何が残ったか!

プロジェクトの成果は別として・・・


それは人それぞれであるが、人によって大きなばらつきがあるし、中身も全然違う。

当然その人のそれに対する思いや意気込みで何をつかむかはかわる。
つかむ内容は、知識、経験、人間(交友関係)・・・・・・

多岐にわたるが、総てのことに言えるのは、それは、そこに集った人達から得たものであると言うことだ。

そうでないように見える物も、例外なく、他人から得た物なのだ。

もしくは,他人との人間関係の中から身についた物なのだ。

だからこそ、そのプロジェクトが終わったときに、自分は何を得たのかをしっかりと考察して欲しい。

それは、他の人達の貴重な経験の中から生まれていることが多いのだから・・・


想像もしなかったことを身につけていることが良くあるよ。


しっかりと振り返らないと気がついてないこと良くありますよ

人間関係

人を思う気持ちが、相手の行動から感じられなければ、その人間関係は終わる。

伝わらな理由はふたつ。

相手が発信していないか、自分が感じようとしていないか。

相手の立場にたたずに、自分の主張をしていると感じれば、その関係は終わっている。

それは、つきあいの浅い深いに関係ない。

親しい関係であれば、適当で良い・・・はずがない。

親しい関係であれば、何を言っても良い・・・はずがない。

親しい関係であれば、と言う言葉自体が必要ないと思う。

人間関係に親しいも親しくないも関係ない。


人間関係は難しい

2014年12月1日月曜日

だから人間なのか?

人はいろんな立場を持っている 

いわゆる外の顔である。厳密に言うと立場を構築する顔である。

そしてもう一つ それとは別で 個人を構築するうちに秘めたる顔がある。

この二つの顔、あなたはどこまで一緒ですか? ほとんどが別ですか?

違っていて当たり前なのだが、一部融合する部分がある。

これがやっかいだ。

片方で必要なく捨てたい自分がいるのに他方で必要とする自分がいる。

その何とも言えない感覚が周りにも自分にも悪い影響を及ぼしている。

捨て切れたらものすごく楽なのに…

自分にお人好しなのか?

よくわからない。

だから人間なのかなぁ?

2014年11月29日土曜日

目指すは内では無く、外 そして上

自分の世界、自分のフィールドで物事を判断してはいけないと前にも書いたことがある。

今回はそれを掘り下げてみたい。


自分は、人間の総ての常識を司っているわけでは無い。

と言うより、もしかしたら、自分の常識は他人から見たら殆ど非常識である場合の方が多い。

たとえば、世界が認める下手物食いナンバーワンは何人かご存知だろうか?

当然これにも色んな主観があるから一概には言えないが、実は日本人なのだ。

それは生卵を食することが世界の人には全く受け入れられない。


と言うように、自分にとって常識でも、周りから見れば非常識なことは多々ある。


ではそれを常に意識しながら行動しなければならないのか?

今の日本人は、昔に比べマシかもしれないが、他国の人からすると極端に人目を気にする。

もし自分が常識から外れているならと考えれば、恐くて行動できなくなってしまうはずである。

ではなぜ、行動できるのか?

ここに、他国の人と日本人の大きな違いがある。

日本人は、自分の行動が正しいかどうかを、同じ環境、同じフィールドに置かれている人と比較をし、その判断を下す。

具体的に言えば、サラリーマンは同じようなサラリーマン同士、経営者なら同じような経営者同士である。

よく似た境遇に安心感を求め、それを求める意識がまず最初に働く。

上にも行かないという見せかけの謙虚さと、だからといって下に下がるのも嫌だという意識が働く。

実はここに成長を妨げる要因がふんだんに含まれている。

他国の人達はどうか?

彼らは、決してよく似たフィールドの人の行動を見ることはしない。

常に、他のフィールドの人達の考えは? 

どんな判断をするのか? 

どんな行動をするのか? 

それを学び、そこから自分の行動や考えが正しいかどうかの判断をする。

常に他を見ている。そしてそれは上を見ていることが殆どである。

決して嫉妬などというようなことでは無く、強い願望やあこがれを持って、素直に認め目指しているのだ。

未経験をなくすことが、正しい道を歩む唯一の方法と知っているからだ。

だから他のフィールドを知ろうとするのだ。

故に、日本人のように同じフィールドの物同士が澱んだように集まることが少ない。


決して他国の人を見習えとは言わない。

しかし、自分は日々学び、成長と言ってる人に限って、学んだ後の行動が気になってしようが無い。

客観的に見て行動に変かがない。

会話にしてもまったく、自分の常識の域を出ていないのだ。


それは評価にも同じ事が言える。

一生懸命学ぼうとする人がいる。自分を成長させようと努力している人がいる。

それは非常に良いのだが、ある領域まで来たときに、少し変化した自分に満足をして、自分は変化ができたと誤った判断を下し、ストップしてしまうのだ。

また、同じフィールの人に変化を褒めて貰いそれに満足をしている人もいる。これも間違いである。

成長しているかどうかは、自分が判断するのでは無く他人が判断するものである。

それも同じフィールドの人では無く、他のフィールドの人が評価して初めて正しい評価なのだ。


確かに自分の殻を破るというのは大変なことである。

しかし、自力で破るのは大変でも、他人に手伝って貰えばそれは、決して難しいことでは無い。

今までそんな人を何人も見てきたし、何人も協力をした。

しかし、自分を打ち破り、今、大きく羽ばたいている人はほんの一握りだ。

これは決して、立場や役職のことを行っているのでは無い。

人間は成長すれば、するほど、得るものは大きくなる。

成長とは、学びでは無く、行動することで初めて現れる。

そんな人達の集合体で常識が出来上がれば、この国は素晴らしいものになる。

日本人よ、もっと貪欲にならないか?

日本人の素晴らしい謙虚さの意味を取り違えて、行動している人が殆どだ。

いずれ日本人が持つ本来の謙虚さについて考えてみよう。



自分の導き方が悪いのかなぁ・・・・




2014年11月26日水曜日

負けるという言葉に感謝

僕は立場上、負けるという言葉が嫌いである。

この負けるという言葉には、大きく二つの意味があると思う。

それは、言葉の意味と言うより負けたときの自分の感情に左右される。

露わに負けが悔しく自分が腹立たしく思うときと そうでないときである。

負けが悔しく腹が立つときは、自分の努力の足りなさが明確で尚且つ、その相手を自分と対等に見ているときだ。

これは明確だ

では悔しくないとき、腹が立たない負けとは?

ある意味、完敗させられたときなどは腹も立ちはしない。

それ以外にもう一つある。

良く似た目的を持ち、お互いが理解し合い相互関係で切磋琢磨できている相手には悔しさはあっても腹立たしさはない。

先を進んでいることに敬意さえ覚える。

手本にさせてね 次は俺が手本になるから…と言ったような感じだろうか…

こういう負けならいくらでも…
、とは思わないがちゃんと自分の糧になる。

最近そう思うことが増えた。

自分が丸くなったという事もあるのだろうが、そう思える知人が増えたことは間違いない。

みんなありがとう。

2014年11月25日火曜日

人は積み重ねの集大成

今、自分が表に表現しているのは一部でしかない。

それを表現するまでの積み重ねは、計り知れないものがある。

しかし、我々はその積み重ねの結果(もしくは経過)のみを表現する。

それはあえて言う必要がないからだ。

これはすべての人間に当てはまることで、大小、善悪あれど必ずその下積みがあるから今の自分がある。

その自分を頼りにしてくれる人もいる。

人間関係の構築は、決して表現している部分だけを見て評価するものではない。

その相手がそこに行き着くまでの積み重ねをしっかりと考えることこそ大事だと思う。

人を頼ると言うことは、その人の積み重ねてきた人生を頼ると言うことなのだから…

そこを見ないのなら、人を頼らない方がいい。

そんな助言を先週は東京でさせていただいた。

その人の積み重ねをしっかりしるべきである。

だからその人の今があるのだから

2014年11月10日月曜日

目指す人は尊敬する人?

あなたの尊敬する人は誰ですか?

あなたの目標としてる人はどんな人ですか?

こういう質問を投げかけられたことがあるだろう


あなたはどう答えますか?

僕は、尊敬する人は居ても目指す人は、居ませんと答えることにしている。


僕は尊敬の言葉の中に、あこがれという抽象的な言葉を含めている。

これは決してそれを目指すと言うことではなく、その人の業績に対する敬意であり、自分のそう思われる人間になれればいいなぁと言うあこがれである。

決してしてそれが目的や目標になることはない。


それに対して、目標とする人。

これはもう、言葉の通りである。

自分のそこにたどり着きたい。という強い願望がある。

ここで注意しないといけないのは、永遠の目標にしてしまってはいけないと言うことだ。

目標となる人と決別できる自分が居なければならない。

これは決して物理的に縁を切るということを言っているのではない。

目標となる対象物は、自分の環境の変化や成長により変化して当たり前だからだ。


たとえば目標としている先輩が居る。

先輩であるから年齢を追い越すことはできない。

しかし、自分の経験の積み重ねで、人間的にその先輩を超えることは十分に可能である。

超えてしまったときにそれはもう目標でなくなる。

それに気づかず、まだ追いかけて訳がわからなくなり躊躇してしまってる人を見かける。


僕はそういう意味で、目標という人は居ないと答える。


実際はいてるんですよ。

でもね口に出しちゃうと言霊でしょ

目指す対象者にその意思を伝えると、その人物が対象で無くなったときに相手は必ず気づきますからね。

人間関係の崩壊になりかねない・・・・・


最近、自分より年下に目指すべき人間が出てきた。

歳を取ってきた証拠か・・・・それともどこか気の緩みがあるのか・・・




それよりも自分が他人の目標の対象者になったとき、追い抜かれないように成長し続けないといけないプレッシャー・・・・

快感もあるが、重いよね







2014年11月9日日曜日

ポジション

ポジションにこだわる人がいる。そんな人に一杯出会ってきた。
 
そこを離れればそのポジションは無い ポジションは人間の力量の総てを決めるのでは無く、作業の円滑化を産む手法でしか無いことを当事者も配偶者も取り巻く人たちも知るべきである。(多少の力量はそこに加味されますがね・・・)

本人に言えば、これを理解できる人がほとんど・・・ 
でも、それを、忘れる人もほとんど・・・・・

ここまでは、よくいわれることである。

でもね、実はポジションも一つだけ役に立つことがある。

それは、ポジションを遂行するために、新しい領域に入ろうと努力をする。

そこで身につけたことは、そのポジションが無くなっても、人格、知識、経験として残るからだ。

それの本当の意味をわかったものだけが、そのポジションの人間になれる。

そのポジションを離れた後もね。

使い方を間違えればそれまでだが・・・

ポジションという意味を2種類使いました・・・・




相対と絶対

ガリレイやアインシュタインの相対性理論を語るつもりは無いが、最近、相対性理論を改めて勉強をしたときに、ふと思ったことがある。

それについて書いてみたい

アインシュタインの相対性理論は、時間と空間は縮み、光の速度はどのような状態でも一定であるという大方世間の想像とは違う根拠からスタートしている。

ある意味、常識を疑ったところから、相対性理論はスタートしたのだ。

では相対とは、どういうことなのか?
「他との関係の中で成り立つもの」

絶対とは
「他との関係性や、比較を必要としないもの」

と定義されている。

絶対的考え方の人は、自分の理論だけで物事を考え、それを実行に移していこうする。

その事柄が、世間の総てに影響を及ぼさないのであれば良いのだが、今我々が生きている社会はそんな生ぬるいものでは無い。

たとえ人に影響を及ぼさなくても、地球に存在する何かには必ず影響が出るはずだ。

なぜそうなるのか? 

実は無意識のうちに、我々人間は地球上の総ての物と相対的関係が成り立っているからなのだ。

宇宙空間における物理的関係だけでは無く、人間の思考や行動の中にも相対的関係は存在する。

それを前提に自分の思考を動かさなければならない。

ただそればかりを考え出すと、何もできなくなってしまうのも事実である。

確かに相手のことを最優先に考える必要は無い。

まず自分の考えをしっかり持てば良い。

しかし行動に移す前に、その事柄を実行に移せば周りにはどのような影響が出るのかしっかりと考えの中に入れなければならない。

やろうとすることが大きければ大きいほど、他に影響は出やすい。

そのことをしっかりと認識しておかなければならないのだ。


日本には、お互い様と言う言葉があるが、これとは少しニュアンスが違う。

相手を尊重するということでも無い

お互い様なんだから、やりたいことをやれば良いのでは無い。

相手を尊重して意見を聞き入れるということでも無い・・・・・


スタートをさせる段階で、他にも影響が出ることを考慮に入れ、他との関係の中で成り立つ物は何なのかをしっかりと見極め行動に移さないと行けないのだ。

自分が生きているということは、他人も自己の考え方を持って生きているということなのだから・・・・

うまく表現できないなぁ・・・・







2014年11月5日水曜日

親の教えが自分の学び

今の自分が持っている知識や常識ってどうやって身についたのか?

人間は、生まれてきた瞬間は、無の状態である。

生命学的には、動作をしているが人間としての知識は全く、無の状態である。

いわゆる他の動物と同じ状態である。

そして、生まれた瞬間から、人間は知識の蓄積をはじめる。

それを直ぐにアウトプットするかどうかは少し横に置いておいて、触覚、聴覚、味覚、感覚 (視覚)を用いて、あらゆる知識を蓄積していく。

そしてそれがいずれ、表現になって現れ出す。

喋るや、泣く怒るなんかがそれである。と言うように、人間は、無の状態から経験を積むことにより情報を蓄積し、その積み重ねにより、個人の人格の形成を行い、自分自身の常識というものを形成していくのだ。

ある意味個人の経験が、大人になったときの身体的違い以外の総て形成していると言って良い。

人の違いは、その人が歩んできた経験の違いである。

そしてその経験や学びの多くを、親から授かる。

一部、事情を除き、殆どが親から学ぶのだ。

当然、年齢を重ねるにつれ、親からの学びの比率は低くなっていくが、小さいときの人間としての道徳心や、基本となる常識は親から学ぶことが殆どである。

言い換えれば、その人間の殆どは親が決めていると行って良い。

親なのだから当たり前と思うかもしれないが、人ひとりの人生の殆どを親が決めてしまうと言うのは実はものすごく重い責任なのだ。

それだけ子を持つ親は、その責任を感じなければならない。

もしその親が、世間の常識とは違ったことを常識と感じていれば、その子供も間違った常識を正しいと感じてしまう。

これは常識的知識だけでは無い。行動も同じである。

子を育てる親として、常に自らの成長を追い求めることが、しいては子供の将来を大きく左右することになると言うことを自覚するべきなのだ。

成長を追い求める親と、成長を億劫に思う親の違いも見て解るが、それぞれの子供はもっと大きな差になって現れる。

それだけ人間が生き、子孫を残していくと言うことは責任重大なことである。

自分の成長、追いかけてますか? 頑張らなければ、子供に不幸が降り注ぎますよ。

頑張れ!! 親!!!






2014年11月3日月曜日

危険な生き方が魅力を生む

退屈を我慢できない人

すぐに何かしようとする人

でも諸事情で動いてはいけない人 

そんな状態に置かれた人ってじっとせずに、禁止されてること以外を見つけ勝手に屁理屈をつけて合法化してやっちゃうよね。

最後に怒られるの自分なのに・・・・でもそんな人だから輝いている。

安全な生き方で人に影響を与えたり、感動を与えることってできない。

あなたが、いいなぁと目指してる人ってある意味危険な・・・そんな人ではないですか?

そんな人からいろんなものを感じませんか?

そんな、0.1%にも満たない人達が、魅力を発進し、それ以外の人に憧れと感動を与える。


ある意味世間の非常識でなければ、人間の魅力は出てこない。

常識的生き方、世間体を気にした生き方に、人を引きつける力は無い。

それは、うちに秘めたるものではなく、堂々と表現しないとだめだ。


とある方への、いい意味でのメッセージです。

もっともっと飛び出せ!! 

まだまだ、この領域に来てないよ。堂々とここに来い!!

貴方ならできる!!

2014年10月7日火曜日

永遠であり試練の色 「青」

永遠の青 試練の青 青色LEDでノーベル物理学賞

昔から、青色は人間を悩まし続けてきた。

絵の具も最初は青色を見つけ出すことができず、見つけ出されたラピスラズリは物凄く高価な取引がされていたと聞いたことがある。

今回のLEDも青色がなかなか出なくその苦労話は、前職の時に聞いたことがあった。

現在商品化されつつある、ELも青色を出すのに多くの科学者が知恵を絞りだしたと聞いた。

そして多くの科学者が挫折していった話も・・・・

青とは、そういう色なのだ。


青と言えば、空、海を直ぐに思い浮かべるが、その青は、本来透明のものであり、決して手に取ることができない色なのだ。

それだけ人間にとって青とは永遠であり、試練の色なのである。


受賞された3名の先生に敬意を表したい。

2014年9月30日火曜日

忙しいという表現

「忙しい」という言葉がある。

言葉の意味自体にはなんの問題もないし、現に忙しいという状況はこの世の中に多数ある。

ここで言いたいのは、人間は、忙しいという言葉をどのタイミングで、何を狙って言っているのかということである。

本当に忙しい人って、自ら忙しいって表現しないと思いませんか?

こういうひとって、自ら言わなくても周りがちゃんとそれを認めてそれを手助けしようとします。

でも、忙しいって表現する人って、一生懸命忙しいを演出してるように感じませんか?

忙しいから、飲みにも行けない。

忙しいから、旅行にも行けない。

忙しいから飯を食う間もない。

ネットもパソコンも携帯も何もないところに行きたい。

よく聞くでしょう


実際、僕の知人でもいます。

一昔前は海外で携帯もそんなにつながりませんでした。

「携帯も、新聞もネットもパソコンも何もないところに行きたい」と言ってた人間が一番、携帯もつながらん、ネット環境も悪いと一番大騒ぎですから、周りから見れば興ざめです。

で、つながる環境になったところで、別に忙しくしてるわけでもない・・・・・・


確かに今その時は忙しいかもしれませんが、ほんの一時であって、余裕があるけど時間に広がりをもって使えない人達ですよね。ある意味時間の使い方の下手な人達。忙しいって大騒ぎしながら・・・結局それしかできていない

自分は忙しいんだって発信して、人に自分は頑張っていると認めてもらいたい。

ものすごく多いですよね。

本当に忙しく、何も言わなくてもちゃんと周りの人たちも認めてる人たちって、自分は忙しいとは思ってないです。

だから発信もしない。

そして尚且つ自分のやりたいことは着実にこなしていく。

遊びも含めてね。

こんな人たちって、周りから見れば忙しそうに見えても、実は本人は楽しんでやってるはずですから、忙しいとも感じない。

これが忙しくとも実績をちゃんと残し、自分の生き様に満足している人でしょう。


忙しいって表現する人って、他人に求めて欲しい以外に、自分のやってることに満足してないのかもしれません。


本来はこうありたいもんです。

忙しい人=働き者  かも知れませんが

忙しい人=やり手な人   ではありません。


ここ数年、忙しいと表現する人が本当に増えました。とある分野とある分野の人に・・・



2014年9月27日土曜日

「せっかくだから」の使い方

皆さんはこの言葉をどう言うときに使ってますか?

せっかくだから~

~のついでに~

オフを満喫するときに使ったりしてませんか?

せっかくここまで来たんだから、観れるだけ見てしまおう。

食えるものは徹底的に食べまくろう。

まるでそこまでしなければ損したような気分になってる人多いですよね。

限られた時間の中に詰め込むだけ詰め込んで、見て回った行為、食べたという行為そのも
のに満足してる人居てるでしょ


でも本当にそれって正しいのでしょうか?

ゆっくりとそのものの本質を感じ取ることってできないと思いませんか?

非日常の中にいるときこそ、せっかくだからを抜きにしてゆっくりと感じることが大切だと思いまさんか?


では「せっかくだから」という詰め込みはしてはいけないのか?

決してそうではありません。

生活や仕事などの日常的行為の時こそ、言い意味での詰め込みが必要だと思います。

気付いたことや、感じたことこそ、せっかくだから一緒にやっちゃおうの精神を持つべきです。

それは日常的行為の本質をわかった上での+αですから、どんどん詰め込み吸収していかなければなりません。

そうすることにより学びが生まれます。

この違い解りますよね


逆の人、案外いてますよね…

2014年9月17日水曜日

競争心 プラスであれば無敵の武器

ミクロネシアに来て3日目の朝

3月来の訪問であるが、いろんな変化がある。

一番大きな変化は、見習い中ではあるが、社員が一人増えた。

グアムや、パラオのダイビングショップで働いていた。パラオ人のヘイズである。

7月から、日本の大手ダイビングツアー会社が、取り扱いをしてくれたこともあり、訪問者がふえた。

そんなタイミングで、働かせてくれと来てくれたのだ。救いに船である。

ヘイズもまだ若く、元気なのだが、ありがたいのは、日本人の対応に慣れていると言うことだ。

パラオや、グアムでは日本人客が多く、そこでの経験が功を奏している。

そんな彼が、来てくれたおかげで、相乗効果が生まれた。

案外おとなしく、コツコツと仕事をこなすフレッドに、笑顔が出て来た。

お客とも喋るようになって来た。

おかげで、今回の訪問で、感じたのはもの凄くショップの雰囲気が良くなっていることだ。

常に笑顔がある。

訪問者にも、「すごく暖かい雰囲気のスタッフの方々ですねぇ」と褒めていただいている。

フレッドにしてみれば、話し相手が出来たと言うことも大きいのだろうが、ヘイズの働きが、良い刺激になり、いい意味での競争心が出ているのだ。

そんな雰囲気に中で、今回の訪問であった。

人の出入りは、他の者に大きく影響する。

その変化を、自分が変わるキッカケとする。

意識をしてでも、無意識でもいい。

人間はそんな大きなキッカケのタイミングでしか変化は興しにくい生き物なのだ。









2014年9月10日水曜日

人のからの学び

「人の振り見て我が振り直せ」
という諺があるが、皆さん当然ご存じですよねぇ

ある意味、他人は自分の学びのための先生である。
そこに自分との比較対象物があるから、自分の今いる立ち位置が解る

批判 意見 同意 憧れ 愛着 

他人に対しての感情や行動は全て主観の上に成り立っている。

だからこそ、他人を観察することは自分を知る上で非常に大切なのだ。

そしてここからが大切である。

自分にないあこがれはしっかりと吸収しなければならない

意見の食い違いは、何故食い違うのかを客観的に判断し、自分に足りないものがあるなら吸収しなければならない。

いずれにしても今現在の自分との違いは必ず学びになる。

人間がまず第一にしないといけないのは、他人との関わりを受動的に待つのではなく、能動的に自ら接触しにいくことだ。
僕の周りでも、そのおかげて大きく変化した人は多い。

そんな人たちは必ず能動的に行動して、自分を卑下したりはしない。

まぁ簡単に言うと元気良く輝いてる人と言うことかなぁ

2014年9月3日水曜日

優先順位

ものには必ず優先順位がある

その優先順位を謝ってしまうと、途中で途切れてしまったり、何から手をつけていいか解らず、スタートできなかったり、最後までいったとしても、結果に自分が納得できなかったりする。

それは優先順位という意味を勘違いしていることが多い。

大事なのは、そのものが何に対しての優先順位なのかを明確にすることである。

自分に対しての優先順位なのか、

他人に対する優先順位なのか、

世間に対する優先順位なのか

、すべて出てくる答えは違うはずだ。


たとえば自分のことに関する内容で、自分の優先順位ではなく、周りを気にして、世間の優先順位で行動すれば、それは明らかに自分の納得できる答えはでてこない


正しい優先順位を知るためには、二つのことを知らなければならない

一つはやろうとすることの目的

もう一つは、自分の置かれている状況

である。

目的が解れば何に対する優先順位かが解る

自分の置かれている状況が解れば、どこから手をつけていいか解る(手順を間違わない)


以上の二点が明確でなければ正しい優先順位など出てこないのだ。

複数の仕事を抱えていてこれが解らなければ致命傷になりますよね


2014年9月2日火曜日

今の状況があるのは誰のおかげ?

自分が今置かれている状況


目に見える現実、

耳に聞こえる現実、

肌で触れる現実、

今、物理的に自分が置かれている状況

これらは、直接的に自分の今の状況を知らしてくれる。

人間はこれらの状況を、総合的に判断して次にするべき行動をとる。

決して間違いでなく、それはそれで正しい。

その判断が冷静であればあるほど間違うことは少ない。


が、にもかかわらずである。

その行動に対して、上司や、親、友人に叱咤されたことはないだろうか?

自分は正しいと思ってした行動が、全く周りを怒らせているという状況。

実はこれが非常に多い なぜなのか?


それは、今、自分が置かれている状況を考えるときに一番大きな要素が欠落しているからである。


それは何なのか?

それは、今、自分が置かれている状況の過去を見ていないと言うことだ。

そしてその過去は、得てして自分の常識では判断がつかないくらいの内容が詰まっていることが多い。

そして、何よりも、その過去を作ってきているのは他ならぬ自分以外の人間であると言うことである。

人の積み重ねの過去の上に、自分が今立っていると言うことを認識することなく、現状だけを見て、感じて判断すれば、必ずといっていいほど次の行動は間違ったものになる。

今自分が置かれている状況は、誰かが積み上げてくれたものであるということを常に認識しなければならない。

特にビジネスにおいては致命傷になりますよ。






2014年8月29日金曜日

目的のある行動が生むもの

飲食を経営している友人から、相談のメールが来た。

アルバイトで働いていた女子を他の仕事を辞めたのもあって正社員にした。

ところが、指示たことはキチッとやるが、それ以上でもそれ以下でもないという。

時間はキチッと守る。

接客は、美人で受けはいいが、常連客からは声が非常に小さく積極性がなく、客からもクレームが出ている。

店が忙しくても、マイペース。

何度言っても改善しようとしない。

この子はうちの店には合わないのか?

育てようが無いのか?

という相談でした。


さて、皆さん、どう答えますか?


ものすごく今風なタイプな子ですよね。

僕は一般的に、働くということに対する夢がないと感じました。

自分の夢を持っている人間は、それを達成する為の手段として働こうとします。

しかし、自分の夢を持っていない人間は、働くということが目的となり、実は力が入らないのです。

確かに働くことが目的だと言って頑張っている人もいます。

しかし、そういう人を突き詰めて行くとやっっぱり働くは実は手段なんですよね。

働くとは、それだけを見ると非常に辛いものです。

しかし、その副産物として、お金儲けができたり、組織として動くわけですから、仲間が居てたり、働く以外にもいろんなことが起こります。

そこに楽しさを見出したり、新しい夢を見つけたりするからこそ、働くという事柄が楽しくなってくるのです。


その女の子には、文章から夢を持って働いているとそれを感じることができなかったんです。

結果から言うと、やはり何も考えずにただ働いているだけでした。


働くだけではなく、何かを行動に移す時に、目的があるか、目的がないかで、その行動は大きく変わります。

自分自身もそうですが、他人から見ればそれは如実に変化します。

見た目もそうですし、目的の無い行動には絶対と言っていい位何も生まれては来ません。

生まれてこなければ、先がなく成長がないということになります。


あなたはどうですか?

あなたの周りにそんな人はいませんか?


自分の行動には常に目的を持っていることが大切です。







2014年8月28日木曜日

あなたは何を残す?

先日、とある後輩に酒の席で突然に・・・

「光良先輩は、最後に何を残したいですか?」と質問された。

「金ですか? 会社ですか?」

僕はすかさず答えた。

「人!!」

僕にはそれしなかない。

自分でも整理はついているが、突然の質問にすーっとその答えが出た時は、なんか嬉しさを感じた。

お金や会社と言う物質的なものを残しても、それを使う人間が無能であればそれは何の役にも立たない。

やっぱり僕は、ちゃんと考えること、ちゃんと行動に移せる人を育て残したい。

2014年8月26日火曜日

成長のための条件

先般、お知り合いの方がFBにアップされていたのをみて、書いてみる

人間が成長するためには二つのことが大切である。


1,状況に応じて、今まで学んだこと、やってきたことを捨て去ると言うこと(アンラーニング)

2,自分という人間を客観的に観察すると言うこと(他人の意見も含める)


この二つができなければ、成長はあり得ない。

人間には無限の可能性があると言う。

確かにそうだ。しかし、残念ながら無限の処理能力は持ち合わせていない。

人それぞれではあるが、記憶能力や、処理能力には限界がある。

それをまず知ることである。

それを知らずに、一生懸命詰め込もうとしている人がほとんどだ。

なんでもそうだが、有限である限り、何かを捨てないと新しいものは入ってこない。

ここで勘違いしてはいけないのは、捨てることは無くなると言うことではないと言うことだ。

今捨てようとしているものをインプットした時から、あなたは、それにもとずいた経験を積んでいる。

その経験は捨てようにも捨てることはできない。

そして、今のあなたを形成している一部になっている。

ある意味、修得し切ったから、もうそれを意識する必要はない。

だからそれを捨てて、新しいものをインプットして行くと考えればいい。

そうすれ捨てることも、惜しくは無い。


ただもう一歩奥はある。


それは二つ目の客観的に見ると言うことと連動する。

人間はこれも苦手である。

自分を客観的に見る。    どうすればいいんだ? 

やり方がわからないと言う人が多い。

確かにそうだろう。

殆ど人が自分を客観的に見ることに慣れていない。

でもこれも簡単なんだ。

自分で見なくていい!

 ???

客観的にとは、他人がどうみてるかと言うことに近い。

であるなら、まず、自分がどう見られているのか率直に他人に聞けばいい。

確かにこれも相当の覚悟がいるが、やってみれば意外に面白い。

そしてそれを知ればもう勝ったようなもんだ。

知らず知らずのうちに、自分で自分を客観的にみているようになる。


ここで、二つの項目が融合する。客観的に見ることによって、自分の行動や思考の中の無駄なところが見えてくる。

そこは思い切って排除しなければならない。

そうすることにより、人間は成長して行くのだ。

成長の為の手法と、客観的自己分析から見える自分の無駄の両方を捨てると言うことが成長の鍵なのだ。

わかったぁ?

吉田裕美子さん、ありがとう

2014年8月18日月曜日

嘘つき

あなたはどんな時に嘘をつきますか?

嘘を装いますか?


嘘を言う時

自分の失敗を隠そうとする時・・・・そうですよねぇ。怒られるの嫌ですもんね

こう言う時って、自分が嘘をついている意識もってますよね。場合によってはすごく罪の意識をもって嘘をついている時があります。それは、まだいいんでしょうね


では嘘を装っている時

言葉だけの違いかもしれませんが、
無意識で嘘をつく。軽い気持ちで嘘をつくときってどう言う時なんでしょうね。

自分を詐ろうとするとき。
かっこ良く見せようとする時。
好かれようとする時。
よく見てもらおうとする時。

こう言う時って嘘をついている意識はなんですよね。

でもそれって、もしかしたら意識をして嘘を着くよりも罪なような気がしませんか?

特に無意識に自分を偽るって、先々を考えた時、深刻な問題になるような気がするんですけどね。

まぁそういう人って、すぐに見抜かれて、結局は自分に大きなマイナスが降りかかりますよね。

偽らず本音で人と語り合うことが一番いいのではないですか?





自分の本音を隠そうとする時




2014年8月4日月曜日

プロ意識とは

あなたの仕事はなんですか?

あなたはそれにプロ意識をもっていますか?

タクシーに乗り行き先を告げた。誰もが名前は知っているホテルである。

しかし、知らないという。 どこですか?と逆に質問された。

そして調べようともしない。

そして堂々と、まだハンドル握って3日目なんですよ。と当たり前に言う。

この人は3日目だから、素人と一緒なんですと言いたいのだろう。

しかし本当にそれで良いのか?

ただで乗せてくれるのか?

そんなはずは無い。

これこそプロ意識の欠落では無いのか?

これ意外にも事例は出さないが、ビックリするような意識の欠如に出会うことが多い。

プロ意識をもっていると自負しながら、必ずやらなければならない事柄を平気で、個人事情でキャンセルしてしまう。

なににしても、プロである以上は個人事情は絶対にあり得ない。

緊急を覗いて個人事情を理由にするなら、プロと自負して他人を巻き込んではいけないんだ。

そんなことあなたしてませんか?







辞める勇気

大きな出来事があったとき、それは自分を変える最大のチャンス。

それを逃す手はない。

今の自分をきっちりと整理をするいい機会だ。

人に言われるままにいろんなことを詰め込んできた人、
自分から良かれと思って行動しているが、思ったような結果が出ない人、
やっていることに一生懸命理由付けしようとしている人、

なんか自分がおかしいと感じていませんか?

もし少しでもおかしいと思っているのなら、その出来事にかこつけて辞めてしまえばいい。

おかしいと感じているならそれはあなたの目的がぶれているから・・・・辞めてしまえば本質が見えてくるよ。

辞める勇気。

辞める理由を一生懸命作ろうとするからやめれない。

でも出来事を理由にすれば辞めれるでしょ。

辞めちゃえ!!

2014年7月18日金曜日

人は人の何に惹きつけられるのか?

人間の成長とは決して知識を増やすことではない。

人として、自分に無い環境を、あらゆる手段と自分との葛藤の中で、自分のものにしていくことだ。

だから成長し続ける人間は、成長するに連れ大きく見えるようになる。

全てにおいて・・・それが人の魅力になる。

これは仕事を通しての話ではない。

ビジネスマンも仕事をしていない人も同じこと。

当然男女も関係ない。

専業主婦の人でもすごい人はたくさんいる。
すごいキャリアのビジネスマンでもそうで無い人が殆どだ。

それが人の魅力というものだと思う。

人間はそこに惹きつけられるのだ。


2014年7月15日火曜日

経営の極意

経営の極意って皆さん、なんだと思いますか?

人それぞれ、答えはマチマチかもしれませんが、僕は、人を育て、その人を最高のポテンシャルで、パフォーマンスをキープさせることだと思っています。

俺は一人親方だから、育てる人がいないという人がいます。

それは間違いです。

自分を育てなければいけないのです。

複数の社員を抱えている人も、人にばかり目が行き、自分をおろそかにしている人が非常に多いです。

自分の教育をおろそかにし、社員を教育していても結果は何も生まれません。

それどころか、社員との間に不協和音が生じ、マイナスの方向に進んでしまいます。

まず自分を高める教育を自分に施しましょう。

それができれば次に社員です。


では教育とは何なのか?

それは学問ではありません。

またシステムを学ぶことでもありません。

僕の私見ですが、社会人としての一般的常識、責任、覚悟、やる気、それぞれ頭で理解するのではなく、全て行動に移す写し方、などです。

上記した内容が、確立できていない上に、高度な内容を詰め込んだところでそれは絵に描いた餅にしかなりません。

人の教育には、必ず手順があるのです。

その手順は、経験則の中で生まれてきました。

若い人達が、夢を持って起業したりしますが、成功者はほんの一握りで殆どは失敗に終わってしまいます。

その原因の殆どが、上記に起因しています。

自分は、人間として、社会人としての基礎ができていても、社員にその教育を怠った。もしくは手を抜いた。

一人親方ならば、自分を過信した。焦った。

実は一番時間をかけなければならないのは、社会人としての基礎の構築であるはずです。

それが確立できていれば、どれだけ高度なシステムや大きな時代の変革が起こっても、微動だにせず乗り切るパワーが蓄積されるのですから。

社会人としての一般常識をしっかり持った人間がどれだけいるのか?

それがその会社のエネルギーです。

あとはそれを、最高のポテンシャルをキープしながらパフォーマンスさせるだけなのですから・・・






2014年7月8日火曜日

聞く能力よりも発信能力

コミュニケーションをうまく取る秘訣。


人の話を聞く。


聞くことの重要性をよく言われる。


確かにそうだ。

相手の話を聞くということは、会話のテーマをずれなくさせるためにも非常に重要なことである。


聞くことは、相手の立場を理解することにも繋がる。


ゆえに聞くということが巷でクローズアップされている。


が、本当に、それだけでいいのだろうか?


聞き上手はコミュニケーション上手なのか?


聞き上手は、周りにいい意味で影響を及ぼすことができるのか?


発信がなければ自分を表現することなど不可能なはずだ。


コミュニケーションをうまくとるには、聞くことも大切だが、発信の仕方が聞き方以上に重要なはずだ。


必ずセットで考えないといけない。


上手いコミュニケーターは、聞きもできるがやっぱり発信の仕方が非常に上手い。


あなたは発信の仕方に工夫を凝らしてますか?


2014年7月3日木曜日

時間の作り方

時間を自分で作れる人は、できる人

昔からよく言われることである。

一般的に、忙しくしてる人に限って、時間に追われている感は全くない。

そしてその本人も、自分で忙しいと感じてはいない。

だから、どんどんと時間を作って、やりたいことを実行に移して行く。


昔、
「経営者だから時間は自由ですよね。その点僕らは、そうではないので時間なんてつくれません。」・・・とある大手サラリーマン

「大きな会社やから、時間が作れる。僕ら零細企業は経営者が働かないと成り立たない」・・・・小さな塾の経営者

上の二つは、読んでいただいた通りのお話なんですが、本当にそう思いますか?

時間を作ることで出来ない人は、ハナから忙しいということを言い訳にしている。

時間が作れないのは自分のせいではなく、他人が悪いから自分は時間が作れないという。

それだけではなく、他人から見るとそうとも感じないのだが、自分で忙しいということを表現して、ポイントにしている感がある。

だから時間を作ることなどもってのほかなのだ。


二つ目の発言者とは、じっくりお話をした。

そして、彼は、時間を作るのは他人次第ではなく自分次第であることに気がついた。

作った時間を、生まれてはじめてするゴルフに費やした。

1年半後、彼はシングルプレーヤーになる。

これはある意味極端な例ですが、立場が場時間を作るのではなく、自分なんですよ。

これって、時間だけのお話ではないんですよ。

人間が生きる上で全てのことに関わる話なんです。

スタートは一緒でも、終焉は、全く違った人生にまりますよね。







2014年6月28日土曜日

覚悟の安売り

先程は、覚悟を持った行動の取らせ方について書いた。

今度は行動を起こす本人側についての注意事項である。

これも厄介なんだよ。

覚悟を持った行動・・・先でも書いたように、覚悟とは責任をとるということ

この行動を受けた側の身になってみよう。

覚悟を持った行動だからこそ、しっかりと受け止めなければならない。

覚悟を持った行動の意味をわかり実際にしてきた人程、必死に答えてやろうとする。

が、たまに、自分からハシゴを外しちゃう人がいる。

やっぱり無理!と言って断念しまう。ちょっと待て!覚悟を決めたのではないのか?

出てきた答えが少し違うからとやめちゃうのか?

しっかり受け止め、それに対して答えようと覚悟を決めた人たちもいるはずだ。

それじゃぁ、覚悟決めたことにはならないよ。

覚悟を決めた以上は、とことんやり切ろうよ。少々迷惑かかっても・・・

自分の覚悟をそんな簡単なもんじゃないだろう。

覚悟の安売りが非常に多い

残念!!






覚悟を持った行動

2014年6月27日 三法よしカンファレンス in 広島において、

覚悟を持った行動とはどういうものなのかという論点になった。

覚悟とは? 自分が責任をとると決めること。(自分の定義)

その行動をとるということは、自分で責任ある行動をするということ。

ここまでは理解はできる。

ではその行動を取らせるためにするべきことは?

これが難しい

北海道のM君(真坂君)が、

人の信頼を後ろ盾にできる人間関係の構築

決してハシゴを外すようなことはなく、一歩を踏み出した人間をしっかりサポートし、見守ることが、覚悟を持った行動を取らせる一歩ではないかと説いた。

なるほどその通りだ。

怖くない!一歩を踏み出せといったところで、それを後押しするものや、待ち受けるものが、いい加減であれば、そんな勇気もうまれないし、万が一失敗した時にはより臆病者を作ってしまう。

結局は明確な答えはなく、いい加減で無い当たり前の人間関係が、他人の行動の第一歩を作るということだ。


人を大きくする5次元の要素

昔も書いたかもしれないが、人間の処理能力を器や懐に例えることがある



あいつは器がでかい とか小さいとか

懐が浅いとか深いとか

これって、誰が決めるのか?

決して自分ではないはずだ。

自分で決めてしまえばもうその人はそこで成長が止まってしまう。

人の器や懐は、実は、人に依存されているものなんだ。

人の期待があるから、人から頼られているから、人が必要としてくれているからこそ、人間は成長する。

その度に器が大きくなり懐が深くなる。

では、期待や、信頼はまっててくるものなのか?

決してそうではない。

やはり日頃の自分の行動が信頼や期待を生む。

それも縦横無尽、老若男女から期待されるような人物になるには、相当の努力がいる。

しかし、全ての方面からの期待や信頼は、必ず自分のものとなる。そしてまた、新しいフィールドの信頼や期待を得る。

これが人間の成長だ。

そして成長を遂げるためには、柔軟な心がけが必要である。

貪欲さ、体力、時間、見識の幅、見識の深さ。

この5次元が人間を成長させる要素である。どれがかけてもダメだ





与えるものの自己犠牲

与えるということ。

この言葉には多くの自己犠牲が含まれている。

与える側には、与えてもらう側には決して見えない犠牲が存在している。

お互いがその意味をわかった時のみ、与え合うという相互作用が存在する。

実はこれはほとんどの場合成り立っていない。

なぜなら、相手の産みの苦しみを知ろうとしないし、知ったところで全てを知ることは出来ないからだ。


では、相互作用は起こらないのではないか?

実はそんなことはない。

実際には、お互いがわかりあった上で 相互作用は成り立っている。

それは、知る出来ない部分を、相手を思いやる気持ちでカバーできるからだ。

学ぼうとする側にこの姿勢が見られなければ、教えたとしても、その全ては学ぶことは出来ないものだ。

表面を学んで、良しとしている人には絶対その全てをマネすることは出来ない。

昨日もその重要性をものすごく実感できた。

刺激しあい、分かり合える仲間がまた増えた

日々、人に感謝、自分に感謝




2014年5月22日木曜日

戦争の後戻り

世界中で起こっている戦争や紛争。

2次対戦以降、一部を除いて行われている戦争は、宗教戦争である。

確かに戦争は良くないことであるが、宗教戦争は、人の心の拠り所、思想に関する争いごとであるがゆえに無くなることのない争いなのだ。

日本から見れば、なんで?

と思うかもしれないが、世界中からみた時には、これはごく自然なことである。

日本は宗教に対しての考え方が、世界中でも稀に見るくらい希薄である。

争うくらいなら宗教を捨ててしまうと平気で思っているだろう。

しかし世界中の人にとって、宗教とはそんなものではない。だからこそ、争いが起こるのだ。

しかし、ここに来て、宗教に依存しない争いが増えてきた。

中国と、ロシアである。

戦争が起こる要因に、宗教意外に人種と領土がある。

人種争い、領土争い。これはともに人間のエゴである。

今更、この時代に、平気でそれが通用し、大国ゆえの正論が通用すると思っているのか?

馬鹿としか言いようがない。

こう言えば昔のアメリカもそうだったと言うバカがいるが、時代背景を読めない単なる戯言である。

あーーー嫌だ

宗教戦争がなくなるのは、それ以上の脅威が発生したときのみである。たとえば宇宙人が地球を攻撃し、地球防衛軍が配備されるとか・・・。

しかし争いはなくならない

戦争賛成論者ではないですからね


2014年5月20日火曜日

攻撃的補完関係

単なる知人の付き合いでは無く、

人の人生に関わるお付き合い

決して、恋愛のことを言っているのでは無い
 
人が生きていく上での、その人の人生を左右するような影響力を持つ人間関係を築いているお付き合いのことを言っている。

確かに恋愛も入るかも知れない。

それはそれ相当の覚悟がいること。

だからといって、避けてはいけない。

何故なら、知人以上の付き合いならお互いの人生に大きく関わるのが当たり前だからだ。

だからこそ、そっと見守るのでは無く、自分が相手にできるできる最大限のことをしなければならないのだ。

それがその人にとって瞬間マイナスに働くかも知れない。

しかし永遠マイナスはない。

特にその人がポジティブな人間であればそれはなおさらだ。

だからこそ、全力で人の人生に関わり続けなければならない。

自分ができる最大の行動をしてあげるべきなのだ。少しも怠ってはいけない。

それがお互い、最高の人生を歩む近道のはずである。



そんな嬉しい報告を昨日受けた。 


2014年5月15日木曜日

閉鎖空間からの脱出が建設業の課題

建設業は、最近まで、閉鎖空間の中で成長してきた。

特に、地域における建設業は大手よりもその意味合いは大きいだろう。

そしてその閉鎖空間が、ここ最近の建設業の信頼を大きく地に沈めてしまっている。

官製談合、政治家との癒着、耐震偽装 数え出したら切りが無いくらいの問題も確かに起こしてきたが、起こした問題以上のダメージを受けている要因は、この閉鎖空間にあるのではないか?

世間から見れば建設業は闇の中で、何をしているのかよくわからないのが、ダメージを大きくしているのではないか?

閉鎖空間の一つが、物理的な建設現場である。

建設現場は、塀で囲まれ、まるで中は見えなくなっている。

建設業サイドから見れば、地域住民の安全の確保、埃や騒音の環境に対する配慮となるのだが、

関係者以外からは、中で何をしてるのかわからない。闇の闇の空間となっているのではないか?


第二の閉鎖空間、それは、建設関係者の心の中にある閉鎖空間だ。

どうせ理解してもらえないから、解放するのは無駄だ。と言う意識だ。

言葉で言うより、技術で良いものを仕上げるのが自分たちの最大の役割でそれが最大の貢献となる。と勝手に思ってはいないか?

確かに一概に間違いではないだろうが、決してそれが全てではない。

人を遠ざけることにより本来考えなければならない真の目的をあやふやにしていないか?

それが人のマンネリを産んでいないか?

人の本気の重みは時間が経つに連れ、薄れて行く。

しかし人間は薄れていることに気がついていない。自然と薄れているから、本気で考えなくなり、気がつけば、気持ちの入っていない「やっているだけ」と言うマンネリを生んでしまうのだ。

維持するためには、意識的な刺激が必要だ。そうすることにより、マンネリから抜け出すことができる

人を遠ざけることで、意識的刺激がなくなり、本気さが薄れ、マンネリが生まれる。

これがある意味、建設業者の心の中に閉塞空間を助長させるルーチンとなっているのではないか?


今建設業に必要とされているのは、建設業に対する理解だ。

そしてその理解を勝ち取るためには、閉鎖空間からの脱皮しかない

やれ建設業の信頼の回復だ。やれイメージアップだと全国でありとあらゆる手法で国民にアプローチをかけているが的確に効果が出ているものはほとんどない。

原因は、手法にあるのではなく、もっともっと根本に存在しているのだ。

そのためにも閉塞空間から脱皮し、物理的にも精神的にも国民に対して解放して行くことが必要である。

そこに、建設業がが抱える問題の解決の根本があるように感じる。

では開放の手法とは何なのか?

物理的にも心理的閉鎖空間も決してリスクの高いものでは無い。

保守的に考えれば、否定論から入り何もできない。

それこそ、些細なことからで良いではないか!

具体的手法はそれぞれが考えよう。

そこにはリスクなんてないはずだ。

やりましょうね。











優しい言葉と本音の言葉

優しい言葉は誰でもかけることができる。

優しい言葉はその言葉に気持ちが無くても相手を惑わせる。

だから優しい言葉は本音が伝わりにくい。

しかし、世の中には優しい言葉があふれている。

優しい言葉をかけるのが相手に対する気遣いだと思ってる人が非常に多い。


まやかしだ


本音の言葉とはどうしても厳しい言葉になる

本音の言葉とは相手を傷つけるけることもある

しかし、その意味がしっかり伝われば相手を成長させることができる。

だから、信頼関係は倍増する。

にもかかわらず、世の中は本音の言葉が殆ど無い。

こんな本音で無い作られた社会に人間は満足している。

端から見てるとちゃんちゃらおかしい 

2014年5月10日土曜日

出会いは感動に!!

人は生きていく上で、必ず多くの人と出会う。

出会いがその人の人生かもしれない。

だからこそ一つ一つの出会いは非常に重要である。

当然意味ある出会いをするために大切なのは自分である。

出会いとは与えてもらうものではなく与えあうものだ。

すばらしい出会いをするためにはまず自分が相手に素晴らしいと思ってもらわなければならない。

そんなベクトルがあったときに初めてお互い様の素晴らしい出会いが生まれる。

そんなことを感じる出来事があった。

役職ではなく人として、その人の気持ちとして出迎えたいただいた。

公務を抜けてきてくださったそうだ。

たった一回東京でお会いしただけなのに…でも出会いとはそういうもの 

回数ではない。

その時どれだけ深く気持ちを交錯させることができたかが大切だ。

会場入り口で、
「社長に逢いたいから待ってました」

大学の先輩でもある方にそんな言葉をいただきガッチリ握手させていただいた。

もうそれだけで胎内まで来た甲斐がある 





人と人との繋がりや縁 

言葉だけではなくそれをどのように実にするか また実にしてもらえるか それが大切だ。

そしてそれは人の行動力しかない。

今回の新潟の訪問はそれを肌で感じるためにやってきた。

ほんのちょっとした縁を行動に移し、それを全力で受け止める。

お互いの行動力があって初めて実となる。

誇り高き仲間たち 

僕は僕なりの感動を感じに来ました。

個人の意味不明な書き込みかもしれません。


2014年5月2日金曜日

仮面

どうも最近惑わされている。

相手にしなくていい人間に感情が振り回されている。ほっとけばいいのに・・・・

そんな自分に腹を立てている。

情けない。

自分がまだ確立できてない証拠だ。

なぜ人間は仮面ばかりかぶって人付き合いするんだろうか?

仮面をかぶったもん同士の付き合いって人間づきあいなんだろうか?

そこから何が生まれるのだろうか?


仮面をかぶってる人にも、本音で接してる人と同じように時間を使わないといけないのか?

仮面を被りすぎて、それが自分だと勘違いしている人が山ほどいる。

でも本人は気づいていない。

それを優しさとか正直とかいう。

違うでしょ。

自分の本心は必ず行動や言動に出るんだから、仮面をかぶってる意味がないと思うのだが!

ではなぜ、人は仮面をかぶりたがるのか?

かっこつけ?願望?・・・・・・・・

そういう人を見てるとむしずが走ってしまう。

ここまでわかっているのに、腹立たしい

なんか変なループだ・・・・・


2014年3月29日土曜日

自分ってどんな人間か?知ってみることが最強の強みに繋がる

自分はどんな人間か知っていますか?

大概の人は知っているという。

でも、本当に知っていますか?

たとえばあなたが、問題や失敗を起こしたとき、反省しますよね。

失敗した原因、追求しますよね。一人で・・・・

そしてそこに出てきた答えって、どんな答えでしょうか?


・責任感というものをはき違えていた。

・プロとしてのプライドが、報告を遅らせた

・つい、人見知りして声をかけるタイミングを逸してしまい、ドンドン言い辛くなってしまった。

 など


山ほど、失敗した原因は出てきます。


ここで出てきた原因は、確かにその問題なり失敗を引き起こした要因でしょう。

多くの人は、ここで追求を辞めてしまい、この問題を引き起こさないシステムを構築しようとします。

実はこれが一つ目のミスです。


・責任感というものを再度考え直す

・プライドを捨てる

・人見知りしても、覚悟を持って人に話しかける。

 など

確かにそれも大切ですが、同じ失敗したこと無いですか? それも何度も・・・・

再発しないように気をつけてるのに、再発してしまう。

なぜでしょうか?


人は、ここで二つ目のミスを犯してしまいます。


それは、再発防止に考えた解決策を、忘れてしまったからと判断してしまうのです。

あなたが最初に考えた失敗を引き起こした原因、それは本当に根本の原因なのではないでしょうか?

実はそれが根本の原因で無いから、何度も同じ失敗を繰り返してしまうのです。

実はここで出てくる原因は表面上の問題であって、実は本来引き起こした元の原因では無いのです。

確かに表面上の問題を発生させない努力は必要でしょう。


しかし人間は、忘れるという超得意な特性を持っています。

忘れてしまったとたんに、再発する可能性はほぼ100%となります。

ここまでが、問題や失敗を引き起こした原因を、一人で見つけ出し解決しようとした多くの結末です。



では、本当の原因は何なのか?

先にも書いたように、表面上の原因を突破し、その奥にある本来の原因に到達しなければならないのです。

表面上の問題を引き起こしている、本来の原因を白昼に引っ張り出さなければならないのです


どうすれば、その原因を引き出せるのか?

実はこれは、自分で引き出すことができる人は殆どいません。

なぜなら、それこそが自分のWeekPointだからです。



ではなぜ、WeekPointを自分で引き出すことができないのか?


人間の殆どは、昔、自分のWeekPointを知ってたはずです。

しかし、人間は社会の中で自分を構築するために、それを隠そうとします。

隠すことによって、自分が世間に順応で優秀な人間であることを世間に認めさせようとするのです。

そして、そこで構築された人間として世間と付き合っていくうちに、そのWeekPointを忘れてしまう。

ここで、本来の自分とは違う、表面上の自分ができあがります。

無意識の中に、WeekPointを持っているのにも関わらず、WeekPointが無いと勘違いしている人間のできあがりです。

これが、大きな凡ミスや、うっかりからの大きな問題を引き起こしてしまい、尚且つそれを再発させてしまう要因なのです。


では、どうすればそれに気付くことができるのか? 

自分のWeekPointはどうすれが、再発見できるのか?


答えは自分で見つけようとしないことです。


実はこのWeekPointは、無意識のうちに自分で隠してしまったものなのですから、ほぼ自分で見つけ出すことなんてできません。

もしそれができるとすれば、よほど自分を客観的に見ることができ、そして知ることに対する覚悟ができた人間でしょう。(それができれば、隠しもしてないでしょうけど・・・)


自分で見つけることができないのなら、他人に頼むしかありません。


自分で隠したものは他人に見えてるはずが無いと考えるかも知れませんが、あなたは、自分の周りの人がどんな人間か考察したことはありませんか?

その本人が思っているのと違う答えを指摘したことあるでしょう。

気丈な振る舞いをする人のちょっとした行動に小心者を見たことはありませんか?


同じ事です。

自分で隠しているつもりでも、実は他人には、非常によく見えているものです。

隠していても、無意識のうちに行動や言動に出ているものなのです。

周りは知ってて、自分は忘れて知らない。これが、自分のWeekPointなのです。

ですから身近な人に本音で、自分てどういう人間なのか? 

自分の悪いところって何処なのか?

また良いところも聞いてみる。

それが一番の近道です。一人では無く複数に聞くことがより確実です。


これには相当の覚悟がいります。

人間は自分の本音を知るのを怖がります。

そして場合によって、言われた内容で腹が立ってきます。

そこを冷静にしっかりと受け止めば、それが自分のWeekPointで有り、それを冷静にしっかり受け止め、それに対する対策をするだけで、自分が社会の中で起こしてしまうあらゆる凡ミスや、うっかりミスを大幅に減らしてくれるはずです。

ミスを犯す度に、そのミスに対しての表面上の具体的対策がドンドン増えていく。

増えれば増えるほど、対策を実行できるはずなどありませんし、再発を繰り返します。

しかし、根本の自分のWeekPointをしっかりと理解し、それに対する少数の対策を講じるだけでミスは殆ど無くなってしまうのです。


大きなことをすることも大切です。

しかし、その裏側で、ミスを繰り返さない自分を構築することも同時に大切なのです。

これは決して守りではありません。

自分がやりたいことを成就し、他人にそれを認めさせる最大の近道でしょう。

なぜなら、自分のWeekPointを解った上で行動起こしている人は、自ずと他人から無意識のうちに信頼を勝ち取っています。

覚悟を決めて、自分を知ってみませんか?

凄く簡単でしょ!!



以下はFBに投稿したものを転載

今日、とある社員から、「社長、うちの嫁さんに僕がどんな人間か一回書いてみてくれ!と頼んだら、一杯出てきましたわ〜!!」
何のお話かというと、
実は失敗をした社員に「なぜそんなことになったのか?原因を考えてごらん」と投げかけました。

責任感の勘違い
しょうもないプライド
人目が気になる
等々

でもこれって全部表面上の問題点なんですよね
表面上の問題点は個人で書き出すことはできるのだが、その原因を作っている内なるもの・・・それは中々自分では見つけ出すことができないものです。

だから
「他人に聞いてごらん! 身近な人に!!」
その社員はそれを実行しただけなんです。
でもね、その社員、今日、僕の部屋に入ってくる顔が元気なんですよ。
「やっと解りましたわ。俺って言う人間が!!何処に問題があるかよく解りました。」
そうそれに気がつけば、あなたはもう失敗をする確率は極端に減るはず。
何故なら自ら問題を引き起こす原因の根本に気がついたんですから
人間は、自分のウィークポイントを無意識のうちに隠そうとします
隠すことによって、自分が順応で優秀な人間であることを構築しようとします。
そうしている間に、そのウィークポイントを忘れてしまう。と言うかなかったことにしてしまう。
だから自分の行動から、大きな凡ミスを犯してしまうんです。
そのウィークポイントをしっかり自覚している人間って実は強いんですよね。
そして、自分の性格や行動から導いてしまう失敗が極端に少ないんですよ。
あなたは自分の内なるウィークポイント知っていますか?
一度覚悟を決めて、聞いてごらん
周りの人はそれを知っていますよ。必ず!!




2014年3月26日水曜日

平和という意味はよくわからない。

皆さんにとって、「平和」とはどういう意味ですか?

実は僕にとって、この「平和」という言葉がよくわからないのです。

ずっと感じているこたんですが、考えれば考えるほどよくわからない。


平和の定義ってんなんなのか?

戦争のない世界?

いがみ合いのない人間関係?

変化の少ない穏やかな空間?

愛が溢れている社会?


僕にとっては、どれもしっくり来ない。

「平和」の裏側にあるものはなんんあのだろう?

解らない。

にもかかわらず世の中には、「平和」という言葉が横行している。

どうも僕には「平和」という言葉が、まやかしの言葉に聞こえてしようがない。

みんなが使っている万能用語のような「平和」という言葉って、なんか逃げに使ってませんか?


こんなことを書いてる俺が平和なのだろうか?


2014年2月17日月曜日

地球との進化と成長を止めてしまった現代人

地球 小さい惑星10個が集まって46億年前に今の地球が完成した。

おかげで、いまでも地球は内部にばく大なエネルギーと、強力な引力を持ち、内外から何が起こってもおかしくない危険にさらされた星であると言うことだ


6億年前と2億年前の全球凍結 

2億5千年前のシベリア大陸での地球大噴火 

大陸大移動 

6500万年前の巨大隕石の衝突 

その度に我々生き物は絶滅しかかってきた 

今更ながら、我々、ヒトは、奇跡的存在であると言うこと 

そしてこれから先も、絶滅の危機の方がずっと大きいと言うこと


地球のお勉強の一番最後のコメントに驚きそして共感した。

「ある意味、現代の人間は総てが与えられ本当の危機というものを感じていない。遺伝子
レベルで生物の進化を見たとき、過去の例から、生命もしくは生存の危機が次世代への進化と成長を促してきた。そう考えると、今のヒトは、進化と成長を止めている可能性がある。」

確かにその通り!!

遺伝子レベルで無くても、ピンチが人間の成長を促す。

やはり、どのレベルでもリスクを負わないと成長は無いと言うことを最後に学びました。

あーーー 成長が止まると言うことは維持ではなく、衰退だそうです!!

2014年2月4日火曜日

片道切符

ミクロネシア、ポンペイでビジネスがスタートする。と言っても僕はお手伝いだけ 具体的な動きは、ほぼ何もしてない。

しかし現地での経緯を聞いていると、長い道のりでいろんな弊害があったようだ。

しかし、それもこれも強い意思があったからここまで来れたのだろうと確信する。

初めてミクロネシアの夢を聞いたのはいつだっただろうか?

あれから何年経っただろうか?

全ては、強い意思と「ダメなら帰ればいい」という、甘えと断ち切ったからこそできたことだと思う。

改めて感心する。

形式上、現地外国人法人の社長におさまってはいるが、これからは精一杯日本での支援をしなければならない。


何事にも、往復切符はない。片道切符の覚悟を持たなければ成就しないということだ。

僕は人生に往復切符なんてあり得ないと思っている。

だから、全てを大切に生きなければならない。



2014年2月2日日曜日

男女とは

男性は男性として、女性は女性として、それぞれの尊重は必要である。

しかし、それだけではダメなんだ。

男性、女性だけではなく、人間としての見方が大切である。

それは決して、男性女性という性で分けられるものでなく、生きて行く上に置いての必要なファクターであると考える。

男性と女性という性だけで区別をして、世の中を生き抜いて行こうとすると、無理が生じる。

何よりも視野を思いっきり狭めてしまう。

一人間として接することができれば、対象者は世界中に広がる。

しかし、男女という、性ありきで判断するとそうはいかない。

恋愛の問題、性的被害の問題、人間としてのドロドロとした部分が、いきなり表に噴出してくる。

それを拒否することにより、人間という大きな枠から、同性が楽であるという閉鎖的空間で判断しなければならなくなる。

勿体無い限りだ。これは女性に多く見られる光景だが、実は女性に限ったことではない。

男性側にも、別の意味で閉鎖的空間は存在する。いろんな意味のハラスメントが世に多くあるが、それを意識しすぎるということだ。

意識しすぎるがために、女性を遠ざけてしまう人が多い。確かにハラスメントはいけないことではあるが、本当にそこまで意識して、敢えて視野を狭める必要があるのだろうか?

そこにも、性を意識するから起こる問題ではないのか?


なぜ、人間として付き合えないのか?

よく、男女間に、友情がありえるか?とか、性を意識しない付き合いは存在するかという馬鹿げた質問がある。

僕は十分あり得ると思っている。

ただし絶対ないかというとそうではない。

なぜなら、男女の意識や感情は、時間軸の中で語られるものであり、経過とともに、変化して行くものと考えているからだ。

これって当たり前ではないですか?

人間として付き合い、それがいずれ性的感情として男女を意識するようになってもそれは自然であり、また、永久に意識しない関係であってもそれは不思議ではないのだ。

事実、そんな関係をうまく構築している男女は数多くいる。

逆に、最初からそれを意識して、拒否したり、構えてしまう方が不自然であり勿体無くてしようがない。

性を問う前に、まず人として、そしてその次に、その人が、何をしている人なのか(決して役職ではなく)を考えて付き合えばいいと思う。

あーーー一つ勘違いしてはいけないのは、一般的男女の意識はしないとダメですよ。

男女は物理的に作りが違うわけですからね。

意味わかりますよね。

2014年1月18日土曜日

人間の成長とは

前にも書いたと思うが、会えて再度書いてみようと思う。

経験ってなんなのか?

辞書を引くことは皆さんにお任せをしよう。

ここでは、漫画家のかわぐちかいじ氏か作品の中で書かれているフレーズを紹介する。

「経験は人間が成長する糧である」
がしかし、
その経験が自分にマイナスだったからと言って、
「人間は、一度経験すると、経験してない自分に戻ることは決してない」

経験は人間の成長にとって、絶対必要なものだがよほどの覚悟がない限り経験はできない。という表裏一体的なことを書いている。

ぼくは、経験という説明は、これが全てであると思っている。

経験の結果、自分にとって良くない答えが出たとしよう。

その時人間は、あー何故あんなことをしてしまったのかと反省をする。

そして多くの人たちは、その経験から、同じ過ちは繰り返さないことを誓う。

これが失敗の経験から導き出される、多くの人が正しいと感じている答えなのだ。


本当にそう思いますか?

確かに、何度も同じ失敗を繰り返してはダメだろう。

しかしその経験談から導き出される答えがこれでいいのだろうか?

そして失敗しない自分を成長したと感じる人たちが多い。

特に、引退組も含め、ベテランの領域に入った社会人に格段に多い。

もういい歳なんだから、失敗なんて出来るか!ということなんだろうか?

僕は決してそうは思わない。新しい経験を求めている人とそうでない人は、生き生き感がまるで違う。

死ぬ直前まで、人生最高を続けるためには、実は未体験ゾーンへの挑戦でしかないと僕は思う。


かわぐちかいじ氏のフレーズに戻るが、経験は、人間の成長の糧であるが、経験するためには覚悟と努力が必要であるといことだ。

今の社会は、この覚悟と努力を認める社会になっているのだろうか?

自分の子供に、経験を阻害する発言や行動をとってはいませんか?

この子は、まだ責任も覚悟もわかっていないから、やってはダメなんです。と、いう親がいる。

じゃぁ、あなたが責任と覚悟を持ってあげればいいじゃないですか!

そして盾になって、行動をさせ、経験から良し悪しを学ばせればいいと思う。

あなたにとって、子供が責任や覚悟がわかるときっていつですか?

あっ、これ放任主義じゃないですよ。

放任主義は、常識的にやってはいけないことまでやらせちゃって、親は責任取りませんから!


勘違いしないでくださいね。


2014年1月8日水曜日

「思い込み」 これも主観と客観のお話

日本人は、良く他の国の文化や思想、ルールに触れた時、「信じられへん」「ありえへん」「そんなことようできるわ」という少し馬鹿にした発言をよく耳にする。

私たちの生活習慣の違いで日本人から見た時の非常識さを安直に表現した言葉である。

特に食べ物となると、それがより顕著になる。

日本人が口にしないもの、そしてそれが獣系であれば、ほとんどゲテモノという言葉を使って処理をしてしまう。

確かに率直な素直な意見で、そういうことを言うなと言う必要はないだろう。

しかし、私たちがおかしいと思っていることは、実は全て彼らの当たり前の行動であることが多い。

日本人が主観で物事を判断して、感想を口に出しているに過ぎないのだ。

他国の人達は、私たちとは、物理的環境も文化も、思想も、違うのだ。

それを理解せずして、その言葉を発するのは如何なのもか?

自分たちが世界のスタンダードで、そこから外れることは全てイレギュラーという判断を人間は往々にしてしまう。

そこから抜け出し客観的に物事を判断することが大切だ。

何もその文化を取り入れと言っているわけではない。が、理解する努力はしないといけないだろう。


一つ例を挙げよう

皆さん知っていますか、先進国の中で、一番のゲテモノ食いと言われているのは日本人であることを!

そしてそれは何を指して行っているのか?

実は「生卵を食す」ということが世界中で日本人が一番のゲテモノぐいと言われている所以である。

他国の人達にとって生卵をそのまま食すと言うことが信じられない行為なのだ。

昔、映画「ロッキー」で、主人公が強くなるため、スタミナを付けるために、コップに生卵を何個も割り、飲み干すというシーンがあったのを覚えているだろうか?

あれは、決して日本人を意識してるわけでは無いのですが、それだけえぐいことをしなければ強くなれないという安直なメッセージを送る演出だったと聞いている。

ちばてつやさんのゴルフ漫画「明日天気になあれ」でも、主人公の向 太陽君が、海外での試合に臨む前、日本人は、卵かけご飯を食べないと力が出ないと、ホテルの厨房にご飯と生卵を要求し、それを掻き込むというシーンがありますが、やはりその後ろでものすごく嫌な顔をしたホテルスタッフが書かれている。

知らなかった人、ビックリするでしょ。

でもこれが世界のスタンダードなんですよ


このように、主観で物事を見ると、自分が中心になり、自分の行為総てが正しく、それ以外はおかしいと判断してしまう事になる。

主観で物事を判断すると言うことは、思考を止めてしまい、新しい知識を入れないと言うことに繋がってしまう。

確かに間違いを受け入れる必要は全くない。しかし、ハナから、それは間違いだと判断をして拒絶するのはいささか、軽率な行動では無いだろうか!

思い込む前に、一度相手をしっかりと見ると言うこと、理解しようとする行動が必要である。

隣の家には、隣の家のルールや週間があるように、国家間ではそれはより顕著になる。

それを理解した上で、物事の判断をすれば、より相手を知ることができ、次の展開が大きく変化するはずで、自分の経験や知識として、今後の人生の糧となる。

安直では無く、冷静に相手を見てからの判断 それが客観的に物事を見ると言うことである。

あーー、具体的な国家のことを言ってるわけではありませんし、客観視して、嫌いななものは嫌いですから・・・・僕の場合は!!!