2013年11月12日火曜日

「東大生が直面する悩み」 とある雑誌の記事から

この記事は決して、東大生に限ったことでは無いと思う。優秀な大学に進学した学生はみんなこの可能性を持っていると思う。

書かれた先生が東京大学大学院理学系研究科の植田教授であるから、東大生とされている。

さてそれはどのような悩みなのか?

入学して、少し立ってからや、在学中には元気だった学生が社会や大学院に進んだとたんに、大きな壁にぶち当たってしまうと言う。そして、挫折してしまうと言う。そんながくせいが、近年、急増しているという。

その悩みとは?その壁とは何なのか?

「評価のルールが突然変わる」

と言う至ってシンプルな悩みである。

大学に入るまでの評価基準は、「勉強」である。

答えが決まっている問題を以下に効率よく得かと言うことが評価の基準である。
物心がついてから、「成績が良い=優秀」という物差しで評価され続けてきたので、学生達はそれが人生の成功の物差しであるかのように錯覚に陥ってしまう。

しかし、大学院や社会は、そんな物差しで評価などしていない。

大学院は、自らが問題を見つけ、創造的に解決できない限り博士号は取れません。社会においても自分で課題を見つけ自らが考え解決していくことが成功の基本ルールです。何をしたら良いか乗しに確認をとった時点で指示待ち族となり成功者の道は歩めません。

このように、大学生までの評価基準と、卒業してからの基準が大きく変わることが、壁にぶち当たり悩み挫折する方程式だと先生はといている。

これは、実は、僕自身が、大学を卒業し、シャープ(株)に入社したときの当時の佐伯社長が入社式の中で述べられた言葉と全く一緒なのだ。

国立一期校の生徒達に、「君たちは今まで挫折というものを知らない。それだけ高校生までの物差しで成功を収めてきた証拠である。しかしこれからは物差しが完全に変わる。頭を切り換えない限り、君たちに成功はない」とはっきり仰った。ちなみに、その他卒の学生達には「君たちは、心配する必要が無い。いろんな失敗や挫折、成功を繰り返し、学生時代は、あまり勉強もせず、アルバイトという名目で、それなりに社会も知っている。大丈夫である」褒められてるとは思わないが、この言葉が深く心に刻まれ、気分が楽になった。

確かにここに書かれていることが全てではないし、全員が当てはまるものでもない。また等で異性以外でも同じような挫折を繰り返しているものもいる。

自分が、役30年間社会人を経験して言えることは、急激に、そのような若者が増えてきているということだ。その背景には、高度成長期に、親からそのような教育を受けてきた子供達が疑いもなく、同じ教育を今の子供達にし、社会もそれが正しいかのように認めてしまっているからに過ぎない。

人間は高度に見えるが実は単純

あなたは同じ失敗を繰り返したことがあるだろうか?
ない人はいないはずである。

自分一人にかかる問題の失敗なんかは本当に多々あることだろう。

当然それだけではなく、他人を巻き込んでの失敗も数えたら切りが無い。

ビジネスにおける致命傷に近い失敗も僕は幾つかある。

そんな重大なことであるにもかかわらず、また同じ失敗を繰り返してしまう。


あなたは、そんな失敗を起こした時、または失敗を繰り返した時、どう考える?

もう絶対同じ失敗は繰り返さないぞ。と心に誓うはずである。

しかし、同じ失敗を繰り返さないための、防御策を講じたことはあるだろうか?

実はほとんどの人がそのようなことは考えるが、思いつかないために実行で来ていないのだ。


なぜ、思いつかないのか? 

それは失敗した事柄を中心に考え、そこから防御策を講じようとするから答えが出ないのだ。

必要なのは、失敗した事柄を掘り下げることはでなく、人間という動物が失敗を起こしたと考えればいいのだ。

失敗した内容なんてこの際どうでもいい。

人間は高度に物事を考え、行動を起こすことができる動物である。

だからどうしても、複雑に物事を考えがちなのだ。

事を起こした内容が重要であればあるほど、それは高度なことだから失敗をしたと判断してしまう。

だから防御策も高度なんだと勝手に考え、高度な中で思考してしまう。


実は高度な思考と行動ができる人間も実は非常に単純な動物なのである。
ということをまず認識することが大切である。

弊社の現場で、こんなことが起こった。

今は当たり前のことであるが、現場内での喫煙は、所定の場所でするようにと現場監督が、朝礼で注意を喚起した。

なかなか実行されず、毎朝それを繰り返した。

忍耐強く言い続けることにより、所定の場所以外で喫煙するものはいなくなった。

監督は、もう大丈夫と朝礼での喚起をやめた。

するとどうであろう。

一週間もしないうちにまた所定場所以外で喫煙がはじまってしまったのだ。

結局その監督は、現場が終了するまで、注意を促すことをやめなかった。

なぜこのようなことが起こったのか? 
それは、喫煙当事者に喫煙場所以外でタバコは吸わないという注意に対する防御策が講じられていないからであった。

この場合の防御策は、実は現場監督の朝礼での喚起にあったのだ。


今のこの例えは喫煙するという非常に簡単な事象で説明をしたが、実は高度になっても防御策は一緒なのだ。

防御策を講じていても、実は人間はそれを繰り返さない限り同じ過ちを起こしてしまうのだ。

また防御策をこうじていても、それがマンネリになってくると防御策としての効果は薄れまた同じ行動をとってしまう。


さてそれでは僕の防御策をご披露しよう。

非常に単純である。

毎日必ず、行う行動の中に防護策を思い出すサインを組み込めばいいのだ。


例えば、毎日顔を洗う洗面台の鏡に、今までにはないシールを貼る。と言ったようなことである。

指輪のように身につけるものならなお良い。

今までに無かったところに変化をつけることにより、思い出させるというやり方である。
そしてそれがマンネリになってきたら、別のものに置き換えれないい。
必ず一日一回は、目にしたり触れたりするところに、変化のあるものを存在させるだけで、人間は忘れずに済むのである。

僕の周りにはそんなものばかりであるが・・・・悲しい・・・・・