2013年9月5日木曜日

決断の矛盾

前回、決断した以上は、決してやめないと書いた。

実はあれには、嘘がある。


実は、決断には、二つの決断がある。

一つは、前回も書いたように事を起こす決断である。

当然、決断をした時には、最後までやり切るという強い意思を持って望まなければならない。

当たり前のことである。


ではもう一つの決断とは何なのか?

覚悟を持ってやめるという決断である。

決断を、最後までやり切る責任と捉えてる人にとって、これはすごく矛盾したことになってしまう。

しかし、やめるという決断は存在する。

存在するどころか、実はこの辞めるという決断こそが非常に大事なのである。

事はいくらでも起こせる。

しかしその決断の責任から、それが失敗の方向に向いていることに気づいていても、「決断したのだから」という理由で辞めることができないことが非常に多い。

それが事業の足を引っ張り廃業に追い込まれているケースも多々ある。

このように事を起こす決断より、辞める決断の方が実は非常に重要であり、トータルとして良い方向に進む決断となるのだ。

決断=やり切る
ではない

決断=責任
であると思う。

言い換えれば、決断という言葉に、言葉以上の圧力を感じる必要はないのではないだろうか!

当然、「やり切る」と言う言葉より、「責任」という言葉の意味の方が重いのであるが・・・

1 件のコメント:

  1. 人は一日のうちに数百回、いや数千回の決断をする。
    その、是非を問う事もなく、次の決断をしなくてはならない。

    その是非を問うたところで、過去に戻れないことは、
    十分に承知していても、後悔という呪縛から逃れられないのが常。

    「今でしょ」が流行る中、正確には今という時は存在しないことを改めて思う。
    「い」と発して「ま」と発した時には「い」は既に過去である。
    その発せられた「い」は取り返しがつかない。

    ≪言葉の圧力≫いい表現だ。
    言葉が言葉通りでないことも常。

    さて。『翌日の夕方まで残るにんにくタレの焼肉屋』
    に行く日を決断せねばならぬ。

    返信削除