実はあれには、嘘がある。
実は、決断には、二つの決断がある。
一つは、前回も書いたように事を起こす決断である。
当然、決断をした時には、最後までやり切るという強い意思を持って望まなければならない。
当たり前のことである。
ではもう一つの決断とは何なのか?
覚悟を持ってやめるという決断である。
決断を、最後までやり切る責任と捉えてる人にとって、これはすごく矛盾したことになってしまう。
しかし、やめるという決断は存在する。
存在するどころか、実はこの辞めるという決断こそが非常に大事なのである。
事はいくらでも起こせる。
しかしその決断の責任から、それが失敗の方向に向いていることに気づいていても、「決断したのだから」という理由で辞めることができないことが非常に多い。
それが事業の足を引っ張り廃業に追い込まれているケースも多々ある。
このように事を起こす決断より、辞める決断の方が実は非常に重要であり、トータルとして良い方向に進む決断となるのだ。
決断=やり切る
ではない
決断=責任
であると思う。
言い換えれば、決断という言葉に、言葉以上の圧力を感じる必要はないのではないだろうか!
当然、「やり切る」と言う言葉より、「責任」という言葉の意味の方が重いのであるが・・・
人は一日のうちに数百回、いや数千回の決断をする。
返信削除その、是非を問う事もなく、次の決断をしなくてはならない。
その是非を問うたところで、過去に戻れないことは、
十分に承知していても、後悔という呪縛から逃れられないのが常。
「今でしょ」が流行る中、正確には今という時は存在しないことを改めて思う。
「い」と発して「ま」と発した時には「い」は既に過去である。
その発せられた「い」は取り返しがつかない。
≪言葉の圧力≫いい表現だ。
言葉が言葉通りでないことも常。
さて。『翌日の夕方まで残るにんにくタレの焼肉屋』
に行く日を決断せねばならぬ。