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ダイビングとバイクをこよなく愛する53歳のおやじ。じっとすることが嫌いな性格はいつまでたっても変わらず。なんにでも興味を示す雑食派 人との繋がりが自分のすべてのエネルギーと信じる。日々出会い、日々学び 嫌いな言葉 マイペース 無責任

2013年5月29日水曜日

女性観と男性観

良く、議論の対象になるお話である

事前に断っておくが、決してどちらかを馬鹿にした話で無い

ドイツの劇作家 グラッペが残した言葉である

「女は自分が世界で有り、男は世界が自分である」

僕はこの言葉を30年くらい前にとある漫画で読んだ。

凄くうまく表現できているなぁと感心した言葉であった。

先でも書いたように決して、どちらかを馬鹿にしたのではない。

この言葉の意味は、女性は起こる事象を深く考え、男性は、起こる事象から先を考えると言うことである。

これは、うまく的を得た言葉と関心をしたものだ。

女性は現実論を納得するまで奥深く考察し納得しようとる

男性は、現実論から未来を推察し、それに向かって進んでいく。

ここからは個人の見解であるが、なぜ同じ人間の男女が髙も違うのか?

私なりの見解はこうだ。

一昔前まで男性は妻子を育て守っていくための生き物であった。

そのために頭を使い、身体を動かし、その時その時の最善の方法を考えながら行動をする。

時には議論し、時には争い、時には外に向けての決断をする。

組織においての責任もそこに起因するところかも知れない。

そもそも人間の男性は、動物的観点からそのように成長してきた。

動物的観点から見ればこれほどわかりやすいものはないだろう思う。

妻子を守り、子孫繁栄のために戦ってきたのが男性なのだ。

そのためには今を見つめるだけではなく先の予測、未来を見つめ、世界に目を向けることが、戦いに勝つ方法であったはずである。


では女性はどうか?

先ほどの話からすれば、動物的観点からすれば、最大の仕事は子を産み育てると言うことになる。

反感を買うかも知れないが、本来動物的観点、子孫繁栄という観点からすれば一番正しい答えとなる。

戦いは男性が行い、子供を産み育てるのは女性の仕事とされてきた。

ここで注目すべきは、産むは女性、守るは男性、しかし育てるは双方である。

当たり前なのだが、意味は少し違う。

男性は、えさ(お金)を持って帰ってくる事、そして世界観を教えることが育てるということになる。

女性は、人間としての基本となることを教えるのが仕事となるのではないか?

言い換えれば、子に男性は夢を教え、女性は現実を教える


ただ最近、これが逆転してきているように感じてしようが無い。

そんな不安を感じるのは自分だけなのだろうか?


女性の社会進出が駄目と行ってるのでは無いですからね・・・勘違いしないでね


2013年5月25日土曜日

私たちは奇跡の存在

我々が住む太陽系がある天の川銀河には2000億個の星があると言われている。

そしてそのような銀河が宇宙には1000億個あると言われている。

そんな宇宙の一つの星に済む私たち人間にとって、永遠の興味は、私たち以外に生命体は存在するのかと言うことである。

良く宇宙人は存在するか?という議論がされているが、私自身は存在すると確信している。

否定してしまうと自分たちの存在すら否定してしまうことになるからだ。

同じ意見を持ってる人は多いと思う。


ところがである。

それがどうも簡単ではないようなのだ。

太陽系のように安定しているのは奇跡に近いらしい。


恒星である太陽と、惑星である水星から海王星までのバランスが素晴らしく奇跡に近いらしい。

通常、太陽系のような形を構成する場合、恒星の誕生の次に土星や木製のような巨大惑星が誕生する。
そしてそのあとでチリが集まり、地球などの小さい惑星が誕生する。

この巨大惑星が大きく影響している。

特に、木星と土星という二つの巨大惑星の位置が絶妙という話だ。

もし太陽系に巨大惑星がもう一つ存在していれば、全ての重力バランスが安定せず、小さな惑星は、太陽に吸収されるか、太陽系外に放出されてしまう可能性が非常に大きいという。

逆に、巨大惑星が一つ、もしくは無いような状況ならばどうなるのか?

巨大惑星の重力が、巨大惑星より内側にある水星から火星までを他の隕石から守るという働きをしているため、 水星から火星までには、ほとんど隕石落下はないらしい。

もし、木星や土星という二つの巨大惑星がなければ、計算上、地球上には今の1000倍の隕石落下が見られるという。

万が一、生命体が地球上に誕生したとしても、隕石落下による消滅を繰り返し、今のような高度な生命他の誕生はなかったというのだ。

このように考えれば、私たちの地球のように生命が誕生し、人間のような高度な知的生物がいるというのは、奇跡と言って過言でないらしい。

ただ星も無限に存在する状況の中での奇跡である。私たちのような知的生命体が何処かに存在することを夢見たいものである。


人を怖がる


最近怖い人だと言われることがある。
人の何を持って怖いと感じるのか?
たとえば恫喝など犯罪行為をすればそれは怖い人だろう。
しかしそれ以外でも怖い人という言葉は使われる。
人が人に対して怖いと感じてるとき、それはどのような状況なのか?
自分はあまり他人を怖いと思ったことがないので、推測の域を超えないが、自分の常識の範疇を超えた行動をされたときそれは怖い行動になるのか?
しかしその行動が、社会的常識であればなぜそれを怖いと判断するのか?
それは怖いと判断する人間が、未熟だからに過ぎないのではないか?
今回、橋下市長の爆弾発言が世の中を激震させているが、あの橋下市長は怖い人だという人が少なからずいる。
しかし、あの発言の何処が怖いのか?
内容は全く当たり前のこと発言していると思うし、それが事実であるはずだ。
ほんの少し歴史を考え戦場なり軍隊という非日常的な中で継続的緊張を続ける中で、決して非常識な行動とは思わない。
人間の生理現象からしても決して不思議ではないはずだ。
同じ意見の人は多く居るはずである。
駄目なのは、市長という公人の立場で発言したと言うことである。
それは失敗だろう。
しかしそれは、馬鹿であって怖い人にはならない。
それを怖い人と判断している人達にとって、現実をしっかり見ていないにすぎないのではないか?
歴史の反省は大切だとは思う。
美化する必要も無い。
しかし現実をしっかり受け止め判断をすることは必要である。
それをせずして怖いと判断している人を理解することは出来ない。
結局、その真意を知ろうとしないからそのような怖いという発言が出てくるのだと思う。
僕は、人を怖がったことがないと言った。
なぜなら、真意を追究するからである。
そして、もし議論が出来るのであれば議論の中で真意を追究する。
そうすれば何が良くて何が悪いのかが明確になる。
そうすれば人を怖がる必要な無いはずだ。
知ろうとしない。
自分の常識から外に出ようとしない人達が常識外れを引き起こされたとき、保身のために他人に怖い人という発言をする。
怖がられてる人って、怖がってる人を確実にハナから相手にしてない。
あなたはどっちになりたいですか?


2013年5月17日金曜日

逆転の発想

良くビジネス書や、セミナーで、デメリットをメリットに変えるがビジネスチャンスにつながる早道などと言う言葉を目に耳にする。

確かにそうだ。とその都度思う。

そしてそれをいろいろ考えて見る。

皆さん、それで何か思いついたことってあります?

実は僕今までに、一つも思いついたことがないんですよ。

でも思いつかれてる人っているんですよね。


例えば、マンションの立地条件

仕事柄良く、ぶち当たるのが立地の条件です。

顧客から土地を探す条件として、駅から◯分で△△坪などとよく言われますが、なかなか駅近はないのが現状。

都市部で駅近の土地はもうほとんどありません。
だからと言って、距離が離れると、売れない、借りてがないなど厳しくなります。


そこで最近こんな賃貸マンションが出てきました。

名付けて、「ダイエットマンション」

これぞ、逆転の発想、デメリットをメリットに変えビジネスにつなげた成功例です。

名前からして凄いでしょ

この賃貸マンション、駅から徒歩18分。現状からすれば、もう借りてがなかなかつかない厳しい立地です。

しかし、ダイエットという言葉を使うことにより、この距離をマイナス要因でなくしてしまった。

オマケに家賃は従量制。

なんと体重一キロ 幾らというような設定なんです。

凄いでしょ。

この賃貸常に満室状態。逆転の発想に、まだそれにこれでもかという付加価値をつけることにより、より特化した商品を作り出してしまう。

お願いだ一ついい!俺のもこんなヒラメキをください。

頭硬いんだろうなぁ・・・・・俺・・・

2013年5月9日木曜日

騙す側と騙される側 プロ意識ってそんなもん?

自分たちの商品を売り込みたいがために過剰なキャッチコピーをつけて売り込みをしている。

確かに、自分たちの商品を買ってもらわないといけないが為のコピーであることはわかるが、訴えられても仕方のないようなものも目立つ。

最近では、ファ○リーズなどがそうだ。

実際に訴えられている。

結論が出たかどうかは知らないが洗濯という言葉を使うのが良くない。

スプレーを降るだけで除菌はできるが洗濯はできない。

しかしそれを鵜呑みにする買い手もいる。

過剰な報道は、間違った方向への誘導になる。


除菌という言葉を使ったので、菌のお話で進めると、抗菌処理されているという商品が山ほど出ている。

抗菌する必要のないものまで抗菌処理をして売っている。

それが売り文句になるからだ。

買い手側からみれば、そこまで敏感に菌に対して気にしなければならないのだろうか?

多くの人がいうように昔はそんなことがなかった。

だからと言って大病になった人がいるのだろうか?逆に、

菌の少なさからくる免疫力の低さでいろんな病気を引き起こしている。

これは誰か一人が悪いわけじゃない。

あらゆるメーカーが除菌、抗菌を言い出した賜物である。

業界全体で、メディアの力を借りて国民をうまく誘導してしまったのだ。

おかげで知識の浅い人たちは、言われるがままにそれらの商品を買い、菌イコール敵というイメージを膨らませている。

ある意味業界の大成功である。

そして、抵抗力の少ない子供が増えてきている。

なんかばかげてないか?


売る側は本来、誰のために商品を開発しているのか、多く売るためという理由は、自分目線である。

今回の話は、それの際たることと思う。

本来商品の開発は、客目線でなければならない。

メーカー側も確かに客側目線に立ってリサーチをした上での商品開発だろう。

客が要求したら、それは良い方向なのかどうかのチェックはしなくてよいのだろうか?

ただ客側目線だけではなく、客を正しい方向に誘導するのもプロの役割ではないのか?

そのためには、過剰な商品開発をするのではなく、本来必要なものをしっかりと認識した上で販売をしてもらいたいものだ。

勉強すれば必要なものとそうでないのもの区別がつくはずだ。

が、しかしだ。

騙された人も、実はとあることではプロの集団にいるはずである。社会というのはそういう物のはずである。

であるなら、自分も騙す側に回っている可能性はあるわけだ。

騙す側が状況に応じては騙される側になってしまう。

こんな極端な合戦をすることが経済の発展に繋がるとはとうてい思えないし、それがプロの集団化と嫌になってしまう。

あなたは騙してませんか?

騙されていませんか?

今回もちょっと極論でした。

2013年5月8日水曜日

セルフ マインドコントロール

自分で自分をコントロールする。

難しい事である。

人間が人間であり続けるための究極は結局そこなのかも知れない

出来る人間はコントロールできている

激動の中で・・・・・・・
激しい自分を作り、なおかつ自分をコントロールする

激しい自分を造らず平穏にするのもセルフかも知れないが、激しい自分を客観的にコントロールした方がずっとずっと楽しい!


2013年5月7日火曜日

長生きする人とは

今日は思いっきり私見で書くので(いつものことですが)ご勘弁を!!

あなたの周りに長生きしてる人いてますか?

当然おいでになると思うのですが、その方って、現役の時どんな生き方されてました?

最近そんなことがすごく気になる。決して、死を意識したからではない。

ふととあることに気づいたからである。

健康に最大注意してる人ってどれくらい長生きしてるんだろう?

当然統計をとったわけではない。が、平均寿命ぐらいまでが関の山ではないのか?そんな気がしてならなくなった。

「私は昔から、健康に一番気を使ってきました」という長寿のお年寄りを見かけたことがない。

それよりも僕が長寿だと感じる人は、社会のリーダー達だ。

当然、全員ではない。

早死にする人も多くいるが、相対的に見て長生きしてるように感じる。


特に国会議員の長寿は絶対であると確信する。

最後までパワーあふれるバイタリティで活躍されているからかもしれないが凄さを感じる。

国会議員の一日ってあまり皆さん方は知らないかもしれないが、普通の社会人をはるかに超える時間と頭を使って仕事をされている。

そんなことはないとお思いの人や、俺の方がずっとしてるという方もおられるだろうが、絶対に普通の人にはできる代物ではない。

一度何日間か連続で密着同行させていただいたことがあるが、所詮僕らは庶民だと思ってしまう瞬間が毎日いく度となくやってくる。

ストレスも半端ではないはずだ。

確かに、ストレスで胃を煩わせたりしている人は多いかもしれないが、機械であれば、酷使しすぎでヒートアップしリタイアするところであるが、それが、彼らにはない。

決して庶民のように健康重視で食事に気をつけたり、サプリを飲んでみたりという人はあまりいない。

自分のことをかまってられないのが現状のはずだ。

バイタリティある行動による脳の活性化が健康につながっているのかもしれない。

長生きの秘訣って、若い頃からバイタリティ溢れる生き方をすることなんではないだろうか?

確かに、僕の周りにもそんな人は多くいる。

そんな人たちは、病気など寄せ付けないくらいの勢いで頭を使い効率的に行動を起こしている。

そんな人たちの方が長生きするように思えてならない。

ある意味、嫌われっ子よに憚るとはこのことなのかもしれない。

ただどんな人間であっても、酒の飲み過ぎはすべてを無にしてしまう。

国会議員に大酒飲みは一人もいない・・・・(弱いということではなく飲む機会が少ないということです)

まずはお酒を控えるところから・・・

2013年5月5日日曜日

堅実経営と守りの経営

今世の中は、アベノミックスという造語の元、浮かれ気分で大騒ぎしている。

決して経済論をここでぶちまけるつもりはない。

バブル崩壊後、何回かあった景気浮揚のチャンスが、内部要因、外部要因多々ある中で摘まれてしまい、長期のデフレに突入した。

昨年末に、デフレからの脱却を大きく掲げる安倍政権に変わるやいなや、具体的対策がまだ打たれない中で、景気浮揚に向けた動きが出てきた。


これはなぜなのか?

確かに、円安や株高が、国民の財布の口を緩め手いることも一つの要因ではあるだろうが、大きな要素としては、国民の精神的なところに依存しているのが非常に大きいのではないだろうか?

ある意味根拠のない期待感から気分が楽になっているという心理が大きいように思う。

そんな中、そんな効果を期待する声は経営者の中にも聞こえてくる。

それはそれで、良いのだが、良く耳にするのが「堅実経営で、派手なことを何もせずに我慢してここまできたから会社が存続できた。今回のアベノミクスでやっと普通の会社になれる!!」??????

この経営者なんか間違ってないですか?

派手なことを何もせず我慢することが堅実経営と勘違いしておられる。

堅実経営は、攻めの経営の言葉と僕は認識している。

攻めの中にいかにリスクを回避することを念頭に置き、対策を打ち博打にならないような経営をするか!

これこそが堅実経営である。

ありとあらゆる策を講じているのだ

この経営者が言っているのは、守りの経営であって、じっとしているだけの経営である。

いろんな不況を、そんな状況で生き残ってきた会社は、申し訳ないが今回のアベノミックスで、負の引き金を引いてしまう可能性が大きい。

堅実経営、攻めの経営をしているからこそ、今の経済の動きや業界の流れをしっかりとリアルタイムでつかめている。

しかし守りの経営をしてきた経営者は、情報の収集にすら投資をすることなく、一途に周りが動くのを待っていたに過ぎない。

これではリアルタイムな情報をつかめてるわけもなく、突然経済の浮揚があったとしても、景気が良い頃の昔と同じ経営でしか対応できず、結局は時代についていけずに、取り残されることになってしまう。

よく、苦しいときこそ最大のチャンスといわれる所以はこんなところにもある。


GW以降から、昨年度の補正予算の11兆円が世に出てくる。

このチャンスをしっかりと地に足を付けながら、大きなチャンスとするか、目先だけを追いかけ、ニヤニヤするかで数年後のその会社の姿が予想されるに違いない。

堅実経営と守りの経営は、似て全く別物の言葉なのだ。

さてあなたはどっち?



2013年5月4日土曜日

パートナーとはいろんな意味で奥の深いもの

あなたにとってのパートナーは誰でしょうか?

多くの方は配偶者を思い浮かべるでしょう。

確かにパートナーです。

しかし、パートナーという言葉はそんなに幅の狭いものではありません。

自分にとって必要とする人、もしくは、自分を必要としてくれる人はすべてパートナーとです。

配偶者、家族、従業員、参加している団体のメンバー 等々・・・すべての人をパートナーという権利を持った人たちだ。

ただ、残念ながら、ちょっと違うニュアンスで書いたように、全員がパートナーとなるわけではないです。

パートナーとなるためには、価値観を共有できなければ、本来のパートナーにはなれない。
形を作って思いが一緒でも、目指すプロセスや考え方が違えばそれはパートナーと言えない。
パートナーを形から入ってしまうと、価値観の違いや思いの違いから必ず歪みが生じ、亀裂が生じる。それは本来のパートナーとは言わないのだ。

会社においても、経営者が理念を掲げるからこそ全従業員が価値観を共有でき、共にパートナーとなれるのだ。

ではパートナーとは何なのか?価値を共有するということはどういうことなのか?

人間は価値観が共有できても、全く同じ人間ということはない。

お互いにないものがある。

そのないものを与え合うという行為こそがパートナーとしての一番大切なスタンスであると感じる。ゆえに、お互いが成長し続けてこそパートナーと言えるのだ。

そしてそれは、永遠に続くものもあれば、成長の過程で自然と価値観が変わり離れて行くものなのだ。

長いスパンで見た時、自分の付き合う相手が変わってきてる人は、良くも悪くも自分の価値観が変わってきていると思えば良い。


あなたの周りには、どんなパートナーがいてますか?

その人とは今までどんな関係できましたか?


2013年5月2日木曜日

反対意見と賛成意見


世の中のあらゆる出来事において、興味の有り無しは別として、必ずそこには賛成と反対の意見が存在する。

毎日繰り返される、テレビや新聞の報道を見ていても、賛否の意見が良く報道されている。

総論的に観察をしてみると、どのような出来事であっても概ね反対意見の報道が多い。

あくまでもマスコミによる世論誘導はないのもとして考えて欲しい


では実際にそれだけ反対意見が多いのか?

賛成意見を反対意見が大幅に上回っているのかというと実はそうではないのだ。


ではなぜ、反対意見ばかりが耳につくのか?

人間は、意に反した内容、自分に得がない場合 自分が不利益になるような内容の時は声を大にしてたてつく習性がある。

皆さん方も経験があるだろう。


では、賛成の時はどうか?

実は人間の本能として、意に沿った内容、自分に徳や利益がある無いようについては、コッソリと推し進めてしまう生き物である。

故に自分に利益がなくても、賛意については、わざわざ自己主張しない。

賛意の自己主張しないことが美学のようになってしまっている。


ではそれで良いのか?

決してそれで言い訳がない。

以上は、すべての事象において賛成または反対の意見を持つと言うことを前提に書いた。

当然そのどちらにも当てはまらない要素がある。

自分は興味が無い、その事象について詳しくない内容などは、度地も選択の出来ない玉虫色になる。

そんな人達にとって、どちらかを判断しなければならないとき、世間の声というのは大きな判断材料になるのだ。

選挙などがその最たるものである。

具体的j指示のない人達は、世間の意見をとりいれてしまう。

4年前の与野党逆転などはその最たるものだ。

現与党の自民党は駄目だという意見はどんどんと声に出されそれがあたかも世論のすべてであるかのように渦巻いた。

しかし、そんなかでも自民党を支持したり自民の政権運営に賛成の人達も多くいたのである。

しかし、そんな人達は、ほとんど声に出して発信はしなかった。


このように、賛成と反対で発信される声の数や大きさは、それが世論とはほど遠いくらい違っている。

世間が正しい判断をするためにも、賛意を持っている人は堂々と発言をしなければならない。

批判だけをするのではなく、応援をするという事がいかに大切か、それが自分の生きる道、国の歩む方角をも曲げてしまう大きな世論になりかねないのだから・・・