2013年4月26日金曜日

心の安心基準と国際基準の違い

これ、何のことが言いたいか解りますか?

3.11東日本大震災の時、福島第一原子力発電所で起こった事故を発端にして、国が国内の放射能の安全基準を引き上げたことを言っている。

逢えてここではその数値は出さないし、その具体的数値のお話をしたいわけではない

事故が起こる前までも、日本は独自の安全基準値を持っていた。

しかし、実際、事故が起こり風評被害が深刻になってきたとき、それを緩和するためなのかどうか知らないが、放射能安全基準値をより厳しく引き上げたのである。

そのニュースを聞いたとき,ものすごく不思議に感じた。

何の意味があるのか?何お役に立つのか?

少し考えただけで全く何の意味が無いことなど明白である。

もし当初の数字に対する根拠の甘さがあったのならば、その影響は多くの人の人体に出てきてたはずである。

そんなことは実際に起こっていない。


基準を引き上げることによって、何が起こったのか?

実はプラスに転じたものなど何もないのだ。

自分から情報を取って判断をしようとしない愚人たちの心の安心感を与えただけで、すべてはマイナスでしかない。

そんな愚人たちもほんの少し考えればすぐに解るはずなのにそれで安全基準を引き上げてもらい良かったと思っている。

本当に情けない。


では何にマイナスが生じたか?

これは計り知れないぐらいの損失が発生してる。

発災前の基準値であれば出荷できていた商品が、出荷できなくなってしまったのである。

発災前、僕たちが平気で口にしていたものがすべて捨てられるという訳のわからないことが起こってしまったのだ。

被災地の経済復興に大きな影を落としてしまった。

なぜ国はそこまでしなければならなかったのか?

本当に未だに不思議でしようが無い。

心の安心をもらった愚人たちは、国際基準と発災前の日本の基準 そして今の基準が何を意味するのか全くもって解っていないとしか言いようがない。


国際基準で世界で問題が起こっているのか?

放射能だけではなくその他の基準値でも一切の問題が起こっているとは聞いたことがないし、問題が起こるような数値を各国がほっておくこともあるはずが無い。

早い段階での今の基準を見直し、国際基準と同レベルまで引き下げることを切に願う。

被災者以外の心の安心を満足させるために被災者自らが犠牲になっている最たる例だ。

基準値とは世界中で一つでよいはずだ。そしてそれは世界中の人達の心の安心を生むものである。

それ以外の数字は、全く無意味であるし、国民はそのことをしっかりと理解するべきだ。

そんな馬鹿な数字を今の日本は持っている・・・

2013年4月24日水曜日

運命の出会い

あなたにとって運命の出会いは、あっただろうか?

決して、結婚相手というような、恋愛的要素で言ってるのでは無い。

自分の人生を左右するくらい、自分の意思を激震させたような人物との出会いである。


私はつい先日、そんな出会いがあった。

相手が相手だけに具体的なことの記述は避けようと思うが、こんな出会いは今までにはない。

確かに今までも、人生を左右されたような出会いはいくつかある。

しかし今回のように、自分の心中に触れたのは初めてである。

まさに「琴線に触れる」とはこの事なのか


ただ自分が生きている限り、今回が最後というわけではないだろう。

今の自分にとっては、最高で最大の出会いだったかも知れないが、自分が今後、どのように変化し、成長するかによっては、また違うショッキングな出会いはあるはずである。


だから人間は辞められない!!!




2013年4月22日月曜日

挨拶はコミュニケーションの基本

半年ほど前に、挨拶について書いたがもう少し触れて見たい。

きっちり挨拶をする人が減ってきている。

挨拶は人としてコミュニケーションの基本である。

挨拶のできない人にまともなコミュニケーションができるはずがない。

なぜなら、挨拶は、単に自己表現ではなく、相手を思うお互いの気持ちから素直に出てくるものと私は考えているからだ。


「おはようございます」とお互い声を掛け合う。

こちらから声を掛けることにより、

その返事で相手は元気なんだろうか?

どんな感情なのか?

読み取ることができるし、場合によっては気遣ってあげることができる。


自分は挨拶の中に会えて自分の感情を表現するようにしている。

元気であれば元気良く!

楽しければ楽しく!

病んでいればしんどそうに・・・・・

怒っていればぶっきらぼうに・・・・

決して過度な表現はしないが、それがお互い気づき合えるものどうしの挨拶で良いと思う。

分かり合えるもの同士が自分を表現すればそれがコミュニケーションとなる。


しかしそのように考えている人は殆どいない。

がゆえに挨拶すら疎かになってくる。

挨拶はしてても、毎回ボソボソ・・・場合によっては、目だけ合わせて首を縦に振る。確かにそれも挨拶だろうが、それでは相手に何も伝わらない。


挨拶こそ、世界共通のコミュニケーションの基本である。

挨拶のない国は存在しない。

挨拶を通して自分の今を表現し、相手の挨拶から相手の今を汲んであげよう。

2013年4月20日土曜日

信じることの大切さ

どこで聞いたわけでも、本で読んだわけでもない。

ただいくつのときからか、成就させたいことは、念じ続ければ必ず成就すると信じるようになった。

きっかけも覚えていない。

しかし、確かに強く念じ、信じ続ければ殆どの事が成就してきている。

(成就してないことは信じ足りないのが原因と思っているからかもしれないが・・・)

客観的に分析してみると、当たり前なのかもしれないが念じ、信じる裏側には、それに向かって無意識にいろんな努力をしているものだ。

そんな無意識のアプローチがあるから、成就できるものなのだ。決して偶然でもなくテレパシーでもない。

一番良くないのは、成就させたいことを途中で諦めてしまうことだ。

要求はするが、「そんなことはあり得ない」と諦めてしまえば、無意識のアプローチも消えてしまう。当然成就できるはずがない。

どんなに複雑なことであろうが、単純なことであろうが人間の要求は、その人の行動や意思によって必ず成功を収める。

成就できなければ自分を攻めるべきである。

なんか凄い終わり方・・・

さて、次は何を成就させようか?

2013年4月18日木曜日

バックアップの大切さ リクスマネジメントの最終形とは?

皆さんよくご存じの野球の話をしようと思う。

決して学生時代部活でやっていたというわけではないので先に断っておく。

野球のプレイ中、特に守備側には常にバックアップという行動がついてまわる。

意識していなければ、なかなかわかりにくい。

特にテレビではバックアップの行動はほとんど映ることはない。

男性はお気づきかもしれないが、ボールが動くところにはメインで動く選手の他に必ずバックアップをする選手が存在する。

ピッチャーが牽制球を一塁に送る。

一塁手の捕球ミスもしくは、暴投を想定して、牽制行動なはいった瞬間に、セカンドとライトの選手が、ファーストの後ろ側に回り込む。

内野ゴロの時も外野手は必ず補給するべき選手の後ろ側に回り込む。

万が一のエラーがあってもその被害を最小限に押さえてしまう行動である。

この行動がバックアップである。

プロの選手などは、滅多なことではエラーをすることはないが、プロの選手ほどきっちりとバックアップの行動をとる。

この一連の行動これこそチームワークである。


私たち、会社組織を構成するメンバーとして、プロ野球のようにバックアップは取れているのだろうか?

他社はどうか解らないが、少なくともうちの会社は、正直なところほぼ無いに等しい。

エラーをしてから対処を考えている。

全くリスクに対する備えがないと言わざる終えない。

言い訳をするなら、バックアップのことまでを考える人的要因がいないというのが正直なところではあるが、人員の不足は理由になるはずがない。

内部エラーであればそれはまだしも外部エラーは、深刻な問題である。

確かに外部エラーに関しては、バックアップの体制は取ってはいるものの、精査されているかというと大きな不安が残る。

近々に見直しを賭けておかなければ取り返しのつかないことになりかねない。

やばい!

今回はバックアップについて取り上げたが、このように、実はメインで動く人間はもとより、それと同等くらいの割合でバックアップが大切であることは容易に解る。

エラーをしない会社作りも大切かも知れないが、その組織を人間が動かしている以上、エラーは起こるものと考えれば、エラーから出るロスを最小限に食い止める方法をしっかりと構築しておかなければならないのだ。

と書けば、それで終わってしまう。


確かに、エラーを最小限に抑えるシステムを構築することこそリクスマネジメントと言われるものであるが、本当にそれだけでいいのだろうか?

リスクマネジメントをしっかりと考え手法として組み込んでいればそれでいいのか?

どうもそうは思わない。

リスクマネジメントがしっかり構築できていてもエラーを起こすのは人間である。

人間ほど、想像を絶する行動を取るものだ。

言い換えれば想定外のエラーは安易に想像できるのである。

原発事故における想定外は想定外で済ませるわけにはいかないが、それを例に取れば良くおわかりだと思う。

リスクマネジメントやバックアップというのはすべてが想定内のものであり、想定された時点で想定外でなくなるのだ。

当たり前と言えば当たり前だが、必ず想定外は存在する。

では、どのように対処すればいいのか?

極力、想定外を減らすためにいろんなパターンを考え、それに対するバックアップを考える。

確かにそれは正しいだろうが根本的解決にはならない。

結局のところ、手法やシステムでその想定外を回避する、もしくは最小限に食い止めると言うことは不可能なのだ。

それを解決できるのは唯一、個人であると言うことだ。

それに携わる人間が、その業務の目的をしっかり把握し、抽象的な思考の中でエラーが起こったときに第一に考え守らなければないものはなにか?そのために自分が執る行動はなんなのか?ということをしっかりと理解した人間の個人の行動でしか食い止めることは出来ないのだ。

野球のバックアップは、ほとんどが手法に則って動いているバックアップであるが、想定外の動きがあったときは、個人の瞬時の判断でしかバックアップは出来ないはずである。


結局のとこと個人の資質を上げることが、最終最後のリスクマネジメントなのかも知れない


と書きながら、次回はエラーをいかに食い止めるかについて書こうと思う。

ぐふふ!!





2013年4月16日火曜日

人を選ぶ 人に選ばれる

あなたはどちらを好みますか?

ほとんどの人は人に選ばれたい!と思うでしょう。

選ぶ側より選ばれる側の方が、一般的には責任が重く社会的ポジションが上な方が多い。

選挙などがその際たるものである。


でも本当にそうなんだろうか?

自分の人生を振り返った時、人に選ばれる人生と人を選ぶ人生なら、人を選ぶ人生の方がいいのではないだろうか?

人を選ぶ人生は、非常にリスクが高い。

自分の付き合いたい人間を選ぶわけであるから、周囲の人たちからみれば、非常にエゴイストのように見える。

しかし自分が自分の人生の方向性を決めて、それを目指していくにはそれぐらいの覚悟をもって取り組まなければ前進することはできない。

自分の人生に必要とされる人物をしっかりと定め選び込む。

そしてその付き合いの中から自分の成長に必要なものをしっかりと学んで行く。

それが人の成長の大きな一歩となることは明確である。


選ぶということはその裏返しもある。

自分にとって必要としない人物の排除である。

排除していかなければ、目標地点まで遠回りになるどころか、足を引っ張られ達成すら危うくなりかねない。

実は、人間はこれを無意識の中でやっているはずである。

自然な出会いと自然な別れという差し障りのない中で片付けてはいるが、多くの人がこれをやっているはずだ。

必要がないから疎遠になるのだ。

だからといって良いわけではない。

意識をして選択と排除をしなければ、目標を見失ってしまう。

そうすることによって人任せの人生から自分で自分をコントロールできる人生へと変わる。


では、選ばれるのを待つ人生は良くないのか?

決してそうではない。

選ばれる人生はもっと格別である。

ただ・・・・・・誰に選ばれるかによるが・・・

先で言った選ぶ人生をしている人物に選ばれればこれほど格別なことはない。

その人物の人生設計の中で、自分が必要とされているわけであるからこれほどの至福はないのである。

問題は、自分の目標をしっかりと定めず人生を送っている人物に選ばれるとこれは厄介だ。

丁重にお断りするしかない。

もしくは、選ばれない行動を常日頃からとっておくべきである。

ある意味それも人を選ぶ人生なのかもしれないが・・・

いずれにしても人を選ぶ人生も選ばれる人生も、双方がしっかりと目標を持って歩んでいるもの同士が自然と引き合うことは間違いない。


あなたの周りに選びたい人いますか?

自分を選んで欲しいなぁと思う人いますか?

そんな人物が多くいる場所に勇気を持って飛び込もう。


一度きりの人生だから・・・







2013年4月14日日曜日

安倍内閣の高支持率から会社経営を学ぶ

誕生当初から、高支持率であったが、ここにきて、75%を超えるという、ある意味わけのわからない状況が起こっている。

なぜなんだぁ?

皆さんこれどう読みます?

凄い凄いと喜んでます?

もし喜んでるのであれば、もう少し深く考えて見てください。

75%を超えるということは、長年の宿敵や、考え方が全く会いまみれない人まで一部を除いて支持してるっていう数字である。

目先だけの判断や、周りに流されて支持してる人がいるならまだしも、ある種ポリシーを持ってた人までも支持に回らなければこの数字は出ないのですよ。


今回の安倍政権が掲げている三つの矢

国民は本当に理解しているのだろうか?

僕自身は、自民党員ですから、反対に回ることはないが、一つ一つを見た時に違和感を感じることが多々ある。

もっと具体的にいうと、TPPに反対してる人って、国民の25%くらいしかいないだろうか?

そんはずはない。

ということは、TPPに反対してる人でも指示をしてる人が多くいるということだ。

デフレ脱却についても、テレビに出ている経済学者のお話は、はなから相手にしないが、デフレからの脱却って必要だとは思うが、今とろうとしている手法は本当に正しいやり方なのか?

個人的には安倍内閣が現在世間に発表しているのは短期的カンフル剤としての役割は充分果たせるだろうが、経済安定という長期的展望に立つと大きな疑問を感じてしまう。

本来は、そこまでの道筋があり、その初段としてカンフル剤があるはずである。

会社経営をする人間にとって国の大きな方向性の中から、私たちの会社の方向性を見出さなければならないと立場からいうと安心感が全くない。

このように、一つ一つを取り上げれば、メディアでも取り上げ懸念されている内容が湧いて出てくる。


さて、では、なぜ支持率が高いのか?

僕自身も、これだけ書きながら支持するかどうかと聞かれれば、間違いなく支持すると答えるだろう!

そこには、安倍内閣の巧みなマジックが隠されている。

全方位的世論対策がなされているのだ。

例えば、TPP反対者がいるとしよう。

TPPには反対なのだが、デフレ脱却は賛成というように、反対者に対して別のところで賛意を得ることができるような対策がなされている。

それが、うまく国民を分析した上でスパイラル上に対策がなされている結果なのだと感じる。

でなければ、このような支持率は出てくるはずがない。


ある意味、自民党だからできる全方位対策をきっちりと分析した上で、政策を掲げている。

前の政権のように、何処かに突出したような政策であれば、反対者はいつまでたっても反対なのだ。

潰れるべくして潰れた前政権も、全方位型対策をとっていれば もう少しマシだったかもしれないが、そこまで高度なことができる人間の集団ではない。

これは、実は会社経営にも同じことが言える。

言わずもがなであろうが、経営者は常に全方位型従業員対策を取らなければならない。

経営者が単一方向型であれば従業員はついてくるはずがない。

反対者はいつまであっても反対者なのだ。

高額な給料で引っ張るというやり方もあるだろうが、長期的に見た時にそれでは会社の存続はまずないし、会社自体のモチベーションが上がらない。

何処かに従業員が納得できる内容をあちこちにちりばめておくか これこそ経営者の手腕の見せ所であろう。

最後に、
支持率が高い=成功 ではないことを会えて書き、今後の手腕と動向を冷静に見極めて行きたい。


2013年4月11日木曜日

当たり前と思うか奇跡と思うか

人間は、常日頃起こる状態を当たり前と思っている。

当たり前に繰り返し起こることに何の不思議も感じない。

それは、自分を中心におき、すべての現象に慣れ親しんでしまった状況におかれているからだ。

朝起きて寝るまでの間に、起こる現象は、だいたいがいつもの繰り返しである。

驚くような変化が起こらないため当たり前になってしまう。


では、そんな状況の時に、非日常的なことが起これば人間はどう感じるだろうか?

例えば宝くじで高額当選した。驚き慌てふためき、奇跡だぁ!と叫ぶに違いない。


しかし考えてみよう。

毎日毎日の日常的なことを、自分を中心におかずに、グローバルな目線で客観的に見た時、それは当たり前のこととなるのだろうか?

極論かもしれないが、人間の存在そのものが宇宙からみれば奇跡的な出来事なのだ。


そしてそのように見てみれば日常的に当たり前に起こっている出来事すら、別のもののように見えてこないだろうか?

同じ事柄でも、見方を変えれば、無関心だったことにも関心を持ったり、感謝の気持ちが現れたりする。

奇跡とまで思わなくとを、当たり前としてまうのはだいぶ持ったいない気がする。

日常は奇跡の現象のの連続なんだから!

2013年4月9日火曜日

物への拘り 得るもの大、出費も大

自分は何でも自分で納得するまでやってみるたちである。

常になんでも興味があれば疑問を持ってしまう。

どんな工程でこれはできているのか?

それを使えば何が変わるのか?

気になると手にいれて触って自分でやって見なければ納得いかない。

食品でいけば、梅干し、味噌、らっきょう、烏賊の塩辛、ぬか床、塩麹、まぁありとあらゆるものを作り、失敗を繰り返し、そうすることによって、どのようにできているのかをしっかりと勉強した。

梅干し、味噌、らっきょう、ぬか床などは今も現役で作っている。

よく皆にマメやねぇと言われるが、欲しくて作っているのではなく、最初は知りたくて作ってしまう。

常にそこからスタートする。

Facebookにもいろいろあげたが、木工細工や革細工ももそうである。

欲しいもの、必要なものがあれば、まず自分で作れないか考えてしまう。それを作るために必要なものは何かを考えそれを買ってしまう。

なんか間違えてるでしょ・・・

革細工や木工細工はその際たるものだ。財布が欲しければ財布を買えばいいのに、作れないかと考えてしまう。

財布を手に入れるために工具と革を買うのだ。

革細工などは、ほとんどの工具を揃え、自分でやって見た。

複雑なのは到底無理だが、名刺入れや携帯ケースなどは、自分で作成している。

そうすることで、初めて皮の切り口がどのように処理をしてツルツルになるのかがわかるのだ。

皮の縫い方にも色々あることがわかる。

おかげで革の特性を知ることができた。

一番の際たるものは、バイクである。

40歳になり、大型二輪の免許を取得した。

それまでにも、バイクはモンキーを持っていたのだが、大型二輪の免許をとったと同時に、モンキーのチューンナップを始める。

自分の納得行く形に変えて行くのだ。オークションでパーツを探し、取り付ける。

当然工具の必要になる。値段の高い工具ではないが、家には、他の家にないような工具などもある。

シャーシを除き見た目の形はそのままだがほぼすべてのパーツを付け替えた。

エンジンのボアアップも自分でした。

こればっかりは骨の折れる作業であったが、エンジンがかかった瞬間は今も忘れることができない。

おかげで、エンジンの基本構造はよくわかった。

そしてとうとう大型のバイクに手を付ける。

エンジンすら触ることはしなかったが、基本は、50ccも1450ccも一緒という楽観的な考えで触りまくった。

すべて自分でである。確かにお金を出せばより安全にやってはもらえるが、それでは面白くない。

わからないまま終わってしまうのが一番気に食わない。

エンジン周り以外は電気系まで一度は確実にバラしている。

おかげで、今列挙したものだけではなく、それ以外のもいろいろやっている実践による知識は豊富に増えた。

実践から学ぶために本は実践のための教本として購入するが、単に学ぶための本はほとんど買わない。

おかげで今も、実践からしか学ばない考えは拡大中であるし、そのための本はものすごく増えた。今は万年筆の本が増加中である。


万年筆がちゃんとかける仕組みなど知った時はなる程なぁと感心した。いずれバラすんだろうなぁ



学ぶということは素晴らしいことであるが、これの最大の欠点は、不要なものまで購入してしまう浪費である。


この癖は治らんなぁ

2013年4月7日日曜日

ペンドクター  人間の思い込みのお話

ペンドクター 万年筆を使われてる人たちは知っていると思う。

万年筆の微調整などをしてくれる人のことである。

最近万年筆を使い出した新米がいうことではないが、万年筆はほんのチョットした微調整で劇的に書き味が変わるという。

当然すべての万年筆に共通の調整をするのではない。

使い手一人ひとりの癖にあった調整をしてくれるのだ。

その人の癖を見抜き、ペン先にヤスリを充てる。

自分はまだ経験は無いが劇的に変化があるらしい。

微調整してもらった人は、その書きやすさに感動するらしい。(経験もないのにブログに書くなという声が聞こえてきそう)


ただ僕がここで書きたいのはそんな話じゃない。


ペンドクターに言わせると、全く調整する必要のないペンもたまにあるという。

ただそのペンの持ち主は、書きにくいと感じている。

こんな時、あなたならどうする?

普通であれば、「このペンは調整しなくても最高の状態で大丈夫ですよ」と言ってしまいまいそうだ。

でも、書き味が悪いと感じている持ち主に、「これ以上、良くはならない」と言っているのと一緒になってしまう。

そうするとその持ち主は、その万年筆を徐々に使わなくなってしまう。

そこで、このペンドクターは、ヤスリを充てるポーズだけで削りはしないらしい。

そして「如何ですか?」と客に確認させるらしい

客は、「おー!格段に書き味が良くなった」と感動してくれるという。

決して客を騙してるわけではない。

ペンドクターのカリスマ性が、使用者の「ペンドクターが触れば、書き味が良くなる」という暗黙の思い込みを、うまく逆手に利用して、持ち主を納得させている。

喜んで持ち主は帰り、その万年筆を使い続けてくれるという。

人間の思い込みというのは、良くも悪くも不思議なもんですなぁ。

あーーちなみにこのペンドクター、これで代金はとっておられませんから、お間違えのないように・・・





2013年4月6日土曜日

ポンペイにて その5

その5を一応このシリーズの最終回としたい。

最後はやはり、豊富な観光資源について触れて見たい。

先でも述べたように、このポンペイ島は海洋資源が豊富である。

南の島といえば常夏のギラギラな太陽を想像されるかもしれないが、実はそうではない。

非常に雨が多いのだ。

一日必ず何処かで雨が降っているという。

故に、豊富なミネラル分が海洋に流れ出し濃い魚影を作っている。当然透明度は落ちるが・・・

さてやはりダイビングについて触れたい。

ポンペイにおけるダイビングポイントは、珊瑚礁の島の性格からPASS(水路)もしくは WALL(珊瑚礁の壁面)がほとんどである。

昔から、ポンペイはブラックマンタを見ることができるということで有名であった。

それは今も続いている。

今回の訪問でも、12枚のマンタと遭遇したが、うち5枚がブラックマンタという高確率な遭遇である。

それ以外にも、バラクーダやギンガメアジの群れは当たり前に見ることができる。今回はグレイリーフシャークを多く見ることができた。

大物だけではなく実はマクロ系も面白い。

サイパンなどでは、グロットで35mオーバーでないと見ることができないヘルフリッチ(シコンハタタテハゼ)が25m位で見ることができた。

それもペアでだ。

ブルーマスクも今回始めてお目にかかった一種である。

それよりも自分にとって今回の目玉は、何と言ってもにニシキテグリだ。

詳しく走らないが、日本の近くでニシキテグリを見ることができるのはパラオが有名である。

パラオにいかないと見れないものだと思い込んでいた。

それがだ。

普通にいるのだ。

それも数多く!

何なんだここは!?

と感じた瞬間だ。


初心者でも4〜50分のダイビングで5個体くらいは充分確認できる。

それ位で普通にいるのだ。




ただ見つけるのは至難の技である。

エダ珊瑚に隠れるように生息しているため難しい。

それでも見つけることができる。

それだけの数がいる。

それを独占できる。

何とも至福の瞬間。我慢と根性は必要だが・・・



今回は、バラクーダのトルネードにも遭遇した。

バラクーダの渦巻きの中に入った。

360度どこを見てもバラクーダである。

今回はただダイビングを楽しむだけではなく、一応、ポイントとダイビングスタイルの確認も訪問の一つに入っていた。

より上級者向けではあるが、群れに遭遇する方法も確認できたように思う。

ダイビングサービスを運営するE氏は確信を持ったようだ。

ダイビングサービスをスタートさせて約一年。

最初の訪問は行き当たりばったりだったが、この一年で、潮の動きや特性をしっかりと掴まれたように実感した。

素晴らしい。

逆に言えば、どんな素晴らしい海でも、特性を知らなければその素晴らしさに出会うことは全くないということである。

E氏には感謝である。

さてダイビングはここまでとして、他の観光資源について触れて見たい

実は海でのコンテンツがもうふたつある。

一つはフィッシングである。

GTやカジキ狙いの訪問者が時々いるということだが、そんなに多くはない。

自分んも詳しくないので、フィッシングについては触れない。


もう一つがサーフィンなのだ。

これも自分はやらないのだが、サーファーからは、太平洋の聖地と言われてるらしい。

パルキルというポイントまで船で出て行き、環礁で波に乗る。

事実、今回宿泊したホテルもサーファー御用達のホテルのようで通路には多くのボードが置かれていて、朝はワックスを塗るサーファーの姿と目にした。


特に冬場は、驚くような波が立つようで、3ヶ月の長期滞在をしているサーファーもいるようだ。

ホテルの部屋には写真が掲げられていたが、すべてポンペイでの写真のようで、その波の凄さは尋常ではない。

日本人サーファーもぜひチャレンジして欲しいものだ。


実は海での楽しみはこれくらいだ。





島のすべてをマングローブで覆われているためビーチがない。

よって他のリゾート地にあるようなビーチで楽しむコンテンツは一切ない。

ここが、家族連れれなどを拒んでいる大きな要因でもある。

陸上に目を向けると、ナンマドール遺跡というのがある。

これは詳しくは調べてもらえば良いが、一見する価値は充分にある。

何とも南の島で海に面した神秘的な大きな遺跡である。


先にも書いたマングローブ林がすごい。

手つかずなだけあって、マングローブ林が陸地から数キロに渡って海に張り出している。

実際にボートで中に入り込んでみたが、カヤックなんかでお口に入り込んでいく感覚はちょっとした冒険心を目覚めさせるような感覚だ。


雨が多い分、川がいくつもあり、山から海が近いため、あちこち滝がある。

この滝巡りをするのも面白いのではないかと思う。

ケイプロの滝が有名であるが、その他原始林の中を進み滝に遭遇するなどワクワクドキドキものではないか!

あと忘れてはならないのが、島の象徴である、ソケーズロックと言われる、ものすごく大きな一枚岩
がある。

これも訪れることができるらしく実際に登って見るのも良いのではないか



本来もう少し楽しめるコンテンツはあるのかもしれないが、自分が認識するのは以上である。

以上のようにマニアックなコンテンツが多く、しかしそれをうまく組み合わせれば十分売りになる。



2013年4月2日火曜日

ポンペイにて その4

シリーズ その4では、在ミクロネシア日本人について触れてみよう。

その1でも書いたように、スペイン、ドイツの植民地を経て、大戦中は日本が占領していた。

しかし、今のミクロネシア人(私はポンペイ人しか知らないが)のほとんどは、親日派である。

占領中も、ミクロネシア人の人権と主権をしっかりと守り、その領域を侵さなかったことが、いまに至る結果なのだろう。

日本人経営のホテル
終戦直後は、2万人の日本人が住んでいたらしい。

その後一斉退去となり、後に新しく日本人が入ってきた。

50年近く前のお話である。


そして日本人の地道で勤勉な活動が始まる。

のんびり大らかなミクロネシア人の中に勤勉な
日本人が入ってきた。

活躍はめまぐるしいものがあったのだろう。
日本人経営のスーパー

スーパーなどの名前をみるとそれを窺い知れる。

YOSHIE STORE NAKASONE STOREと日本人の名前がついたお店が幾つもある。

流行っているレストランなども聞いてみるとほとんど日本人が経営している。

いろいろ詳しく聞いてみると、政府関係者の中にも、日本人が深く関わっているようで、事実、いまのおFSMの大統領は、MORI大統領と言い、高知県に由来があるらしい。

このよに、今も日本人が第一線で活躍しているし、ミクロネシア人に慕われているのだ。

日本人経営のホテル
たくましい限りである。

ミクロネシア人が、親日である理由の一つに彼らの活躍も大きな一つにあげられると確信する。


彼らの活躍が今のミクロネシアの原型を作っていると言っても過言ではない。

が、しかし、先にも述べたように、まだまだ、未開の地であり、先進国に住む私達が、足を踏み入れるには、勇気と覚悟がいると感じる。

そのように発展を遂げるためには、他人任せではないミクロネシア人の自立が不可欠に強く感じる。

頑張って欲しいものだ。
空港でも日本人をよく見かける

その時も日本人は、お金だけではなく、技術も精神も提供できる唯一の国でありたいものだ。