自己紹介

自分の写真

ダイビングとバイクをこよなく愛する53歳のおやじ。じっとすることが嫌いな性格はいつまでたっても変わらず。なんにでも興味を示す雑食派 人との繋がりが自分のすべてのエネルギーと信じる。日々出会い、日々学び 嫌いな言葉 マイペース 無責任

2012年11月23日金曜日

経験という素晴らしさ(百聞は意見にしかず)

百聞は一見にしかずと言う言葉がある。

当然皆さんも、聞いたことあるだろうし意味も充分わかっていることだろう。

最近、特にそれを実感している。

自分自身、5年前に社長に就任してから、動きが大きく変化した。

それまでも、いろんな役職で出張はしていたが、社長就任のタイミングで動きが大きく変わった。決して社長になったことがきっかけでは無いが・・・

より多くの学ぶ機会に恵まれるようになった。

個人として学ぶこと、経営者として学ぶこと、会社に反映させるもの その他諸々・・・

ところが、そこでジレンマに陥る。

自分自身が学ぶことは個人のことなのでかまわないのだが、会社に反映させなければならないものが会社に落ちない。いくら、あの手この手で説明しても想いが伝わらない。

2年ぐらい悩んだもんだ

自分の伝え方が悪いのか?社員たちのやる気が無いのか?受け入れるような組織じゃ無いのか?自分は認めてもらってないのか?

同じような悩みを持った人も多く居るだろう。

そんなとき、とある場で、北海道の同業の社長にお目にかかる。

自分の出張に、時間のある社員を連れて行くというのだ。

東京には、全国から多くの経営者の方々が学びのためにやってくるが、具体的な打ち合わせ以外で社員を連れている人はほとんど居ない。

その時には、へぇすごい会社やなぁとしか感じなかった。

そして、それから数ヶ月が過ぎ、同じ取り組みをしてる関係で弊社に研修として、15名で奈良にお越しになった。これは本当にビックリした。弊社始まって以来の大人数での弊社訪問である。

何処までホスピタリティを発揮できるのか、やったことの無い我々にとってすべてが手探りであった。

みんなの頑張りもあり、当日の計画はどうにかこなす事が出来たが、その後ビックリすることが起きる。

なんと、従業員たちの意識がほんの少しだけ変化しているのだ。

今まで、取引先以外外部と接触をしてこなかった技術系社員がほんの少しではあるが刺激を受けて変化しているんだ。

なるほど、これだ!と実感!

北海道の社長が従業員を連れて出張に出るのはこの事なんだ。

体験させなければ、伝わるものも伝わらない。

冷静に考えれば、ちゃんと物事が伝わり実践できるならそれは、高い無駄な経費では無い。確実に必要な経費だ。

それからである。自分も、適材適所、従業員を出張に同行させることにした。

目的とする内容の習得はもとより、社外での見識と交友関係の拡大、そして何より今まで未知の世界であった、経営者の実態!

私たちが出張先で、経営者同士、どんな会話をして、どんな付き合い方をしているのか?

あからさまに出してる。おかげで、従業員との距離が近くなった。今まで口頭だけでしか伝えて居なかったことも、一部の人達は実際に一緒に体験しているため、会社に落ちるのが早い。すべてが良いことずくめである。

今回とあるプロジェクトをスタートさせるに当たり、全従業員に、自分と一緒になってプロジェクトやりませんかとメールをしてみた。一部の社員から是非という嬉しい返事が返ってきた。その中には新入社員も居る。

経験をするということが新しい未知の世界を無限に切り開いていく。
それが人間という生き物なんだと実感する。

今会社は確実に動いている。経営者が動かすのでは無く、全員の力で動いてることを実感する。

これからもどんどん、従業員と出張を続けたい。








2012年11月16日金曜日

理想と現実

あなたにとっての理想と現実の定義ってなんでしょうか?

理想とは
考えうるかぎり最もすばらしい状態。最も望ましい姿。行動の目的となって現実に意味を与える。

現実とは
今、目の前に事実として現れている事柄状態

人間はいつも、理想を追いかけます。それが生きる目的となるのですから、いきいきと生きるためにも理想を追い続けなければなりません。

が、たまに、現実を見ずして理想を追求する人がいます。

今の日本ってそんな人多いと思いませんか?

現実を見ずして、理想を追いかければ、その理想に対する矛盾を生んでしまいます。


「お客様のために、お客様が望むサービスを徹底的に提供したい。」

どこの会社でも掲げ、従業員も頭に入ってるフレーズだと思います。


でも、現実を見ずに、この理想を追求すればどうなるでしょう?

売り上げ度外視、利益度外視 場合によっては、お金をもらうことすら悪と位置づけてしまいます。

現実を見なければ、こんなことになっちゃいますよね。完全な矛盾に陥ってしまいます。

あなたにとって働くという現実は何か?

あなたにとって働くという理想は何か?

働くに置き換えてお話ししましたが、両方をしっかり見つめて人は初めて、理想に突き進むことができるはずです。

間違えないでおきましょうね




自信とは!


そもそも最初から自信を持っている人っていてるのだろうか?

あり得ない。

では自信とはどこから芽生えてくるのか?

当然今までの経験で裏打ちされたことから、今、目の前で起こっていることに対する解決に自信はもてるだろう。

しかし、それだけで良いのだろうか?

まわり人達は、僕に対して「その自信はどこから生まれるのか?」「経験を積んだから自信があるんだ」と言われるが、実はそうではないんだ。


冒険からスタートした自信は自信とは言わないのだろうか?

確かに冒険はリスクを伴い、それが自信に繋がらないこともしばしばあるだろう。

しかし僕は、自分に偽り 己を無理矢理信じるところからスタートさせた。


「これは正しいんだ。俺が決めたことだから、絶対に間違いは無い」

「誰にどう言われようが、俺が深く考え決めた以上は、絶対正しい!」


強く思い込むところからスタートさせたのが6年前くらいだった。

当然その答えは今も出るものではないが、客観的に見たとき 現状は、順調に進んでいる。

そして何よりも、自分にとって無理矢理スタートさせた自信が、いつしか経験を積み自然体になっている。

今の自分を構築している軸になってる。



自信とは


己を信じるところから始まる。

己を無理矢理信じるところからしか始まらない。

それが経験に繋がり 自信となる

あくまでも私見である。




2012年11月4日日曜日

年相応と分相応

この二つの言葉、大変よく使われている。
年相応とは、年齢に見合った・・・・であり
分相応とは、身分に見合った・・・・となる。

この二つの言葉に対する自分の考えを書いてみる。

まず年相応と言う言葉。年齢に見合う服装、年齢に見合う言動、行動と言うようによく使われるが、その年齢に合う服装ってどんなの?言動や行動ってどういうことを言うの?

「もういい歳なんだから、そんな格好やめときなさい」とよく聞く。
これって本当に正しいの?
これって、逆に、その人の個性を潰すことに繋がってない?

確かに言動や行動については、大人が子供のような動きをするのはおかしいかもしれないが、それも、その時の雰囲気で、その個人を主張する方法であると思わない?

私自身、年相応という言葉なんかあり得ないと思っている。周りを不快に思わすこと無く、自分を主張できれば、そこには年齢なんか関係ない。
にもかかわらず、年相応を気にしてる人が非常に多い。
これも個性を出して目立つことに消極的な現れなのか・・・


では次に分相応。

これは、身分にあったということ・・
これは、年相応とは逆に、僕は、強く意識するときがある。
男としての立場、父親としての立場、社会や会社における自分の立場、これを忘れ、大きく背伸びしてみたりすると、必ずそこには不協和音が生まれ、不快感を相手に与える。
自分の立場や身分は自分の成長ともに一段ずつ上がるものであり、一気に飛び越えるものでは無い。当然成長の速度は、人の努力によって変わるが・・・
でもこれも、年相応とは逆で、意識してない人が多い。

なんか皆さん逆でしょ・・・


そう考えるのは自分だけなのだろうか・・・






2012年11月3日土曜日

経験する怖さ

自分が、行動する上に置いて、常に頭に置いている言葉がある。


「一度知った自分は、知らない自分に戻ることは出来ない。経験とはそういうものであ

る。」

人は安易にいろんな経験をするが、失敗をしたからと言って、実はリセットなんってかか

らない。実は経験すると言うことはそれだけ、怖いことであり、相当の覚悟が必要なん

だ。


じゃぁ、経験しなくてよいのか?と言うとそうでは無い。


人間は、経験しなければ成長することが出来ない。

「経験は、人間が生き成長するための糧なのだ」


人間として生き、人として成長するには相当の覚悟が必要なんだ!


いい加減な生き方なんてしてられない!

1=0.9999・・・(循環少数)は正しいか?

1=0.99999999・・・・・
は正しいかどうか?
皆さんどう思います。
私たちが学んできた算数では、絶対正しくないですよね!
でもね、これ証明できるんですよ

X=0.999999・・・・・(循環小数)

10X=9.999999・・・・・
10XーX=9.9999・・・・ー0.999999・・・・・
9X=9.000000・・・・
X=1

ほらね

知ってる人も多いと思いますが・・・

学問的には、このように証明できちゃう
1=0.99999・・・・では無いというのはあくまでも直観的に判断しているに過ぎないらしい・・・
なんか納得いかない

ではもう一問
同じ誕生日の人がいる確率が50%を超えるには、何人の人が集まればよいか?

答えは、実はたった23人

これを数学的に証明してくれたまえ!!!

このような、数学的には正しいが、直感とは相反していることを疑似パラドックスと言うらしい。

だからどうという話でもありませんでした。

終わり