自己紹介

自分の写真

ダイビングとバイクをこよなく愛する53歳のおやじ。じっとすることが嫌いな性格はいつまでたっても変わらず。なんにでも興味を示す雑食派 人との繋がりが自分のすべてのエネルギーと信じる。日々出会い、日々学び 嫌いな言葉 マイペース 無責任

2012年10月20日土曜日

無理という言葉の怖さ

私には無理だから・・・
もう無理!
よく聞く言葉だ。若い人たちでもよく使う。
よく似た言葉に無茶ということばがる。
無理も無茶も辞書で引いてみると
 物事の筋道が立たず道理に合わないこと」 とある。

が、僕自身の感情的な言葉の感覚として、「無理」という言葉に、自分への閉鎖と、他人への拒否という意味が大いにあると感じる。

実際、今までにもいろんな指導にあたった際、やる前から「もう無理」と言われてしまえば、そこからもう導いてやることはできないし、本人も、無理と決めつけ、学ぶのを止めてしまう。双方にとってこれほどつらいものはない。

「無茶」には常識外れと言う言葉が感覚的にはあてはまる。常識外れやけど、やってみる?!と言うような余裕がまだ感じられるのだ。

いずれにしても、無理は自分から発するものでも、他人に発せられるものでもどちらにせよ、総てを拒否する否定にしかならない。


ただ、無理や無茶をした先に見えるものもあるんだよねぇ・・・

無理でも頑張る。無茶をしてみると。自分の気持ちを発奮させるためには非常に良い言葉だ

そう考えれば、使い方で全然裏腹な言葉になってしまう?!まぁ否定には使うなということだ。





成長の違い

理解者であり、協力者だった人が敵にまわった。
そんなアホな!
おれなんかやったんやろか?     いや、何もやってない・・・・
なんか怒らせたんやろか?     何もやってないんだから怒る理由がわからない・・・・
えーーーーどうしよう?

よくある光景です。

答えは簡単、あなたとその人の成長の差ですよ。
あなたは成長し続け、もしその協力者が成長を止めていたら・・・・
あなたはいずれその人を追い抜いちゃいます。
追い抜き、引き離したところで、抜かれた側は感情をあらわにするんですよね
協力したのになぜ俺をほって行くんだ!この野郎、バカにしやがって!!!てな具合に・・・

そんなの気にする必要はない。単なる妬みなんですから!!

もしどうしてもその協力者が必要であれば、少し手を差し伸べてあげてください。
ほんの少しでいいですよ。深く入る必要はありません。自分の成長には多分必要なくなった人なんですから!
気にする必要はない。自分の信念を持って進めば良い。

過激な文章でした。ごめんなさい。

人に見せる自分の姿

一生懸命走り続けようとする人がいる。
特に起業をした経営者に多く見られる。
自分が走り続けていることが従業員のやる気を出させている。自分が走り続けなければ、従業員はついてこない。なぜなら自分は社長だから!
確かに間違ってはいない。
でも本当にそれだけですか?
一生懸命走り続ける中に、ちゃんとゆとりを持ってますか?

子は親の姿を見て育つと言われるように、すべての従業員ではないでしょうが、社長を目標として頑張る人達もいます。そう考えれば、もっと頑張らねばと思っちゃうのが経営者ですよね。
でもしんどくありません?
一人になって「あーーーしんど!』って言ってません?
それって、実は他人から見た時にやっぱりしんどく映っちゃてるんですよ。

頑張る姿を見せることは非常に大事なことですし、確かにまわりの士気を高めます。
でもね、行きすぎるとそれは、自分はしんどくなり、周りは引いちゃうことにもつながりかねない。
しっかりとゆとりを持って、堂々とゆとりのある姿を他人にも見せることが大切ですよ。

だからって、進捗が変わることなんか絶対ないですから・・・

できる人ってちゃんと遊びもしっかりやって人生楽しんでますから!!

なんかこんな文章前にも書いたなぁ  ダブってごめん




ギアチェンジ No.1

自分は上手くギアチェンジできてるだろうか?
ずっと一速のままで、走り続けてないだろうか?
新しいことを始めるとき、車で言えば走り出す瞬間は、一速からのスタートである。
がむしゃらに、目の前のことをこなして、その達成感で満足して走り続ける。他人から見てもすごく頑張ってる姿に映りますよね。
確かに最初はそれでいいでしょう。でもいつまでもそれでいいんでしょうか?

あなたの周りの環境って変わってませんか?
あなたを中心に変化を起こしてるはずなんですよね。自分が頑張れば、必ずそれは他人に影響を及ぼします。
特に、会社組織で、あなたが社長であればそれはなおさらのこと。

社長の頑張りは、従業員にも必ずそれは影響を及ぼします。
あらゆることが重ならなければならないですが、社長の頑張りは、従業員のやる気を起こさせます。

が、

うまくいってるから、ギアはそのままでよいのでしょうか?
車と一緒で、ギアチェンジしなけいずれオーバーヒートしてしまいます。
社長がオーバーヒートすれば、いずれ社員は、離れて行きますよね。
社員たちが常に走り続けることができるように、また社員たちもうまくギアチェンジできるように、自らが率先してギアチェンジしていかなければなりません。それは人の成長であり企業の発展につながるはずです。人の成長なくして企業の継続的発展はありません。

じゃあギアチェンジってなんなのか?
もう一回車のことを考えてみよう。
ギアチェンジすれば、少ないエンジンの回転数でより速い速度を得ることができる。
同じことですよね。
人間としてより高度なことができたり、組織としてより発展を遂げるためにより高度な領域に入って行くことです。










ギアチェンジ No.2

 では、いつどのようにギアチェンジすればよいのか?
事業計画の中に個人や組織のギアチェンジを盛り込み計画的に実施するのであればそれは何の問題もないでしょう。しかし、ギアチェンジを意識して長期計画を立てている人はほとんどいないのではないでしょうか?実際僕もそうでした。
では、どのタイミングで実施するのか?
答えは一つだけではないですが、自分が行き詰まった時はギアチェンジのタイミングだと思います。行き詰まる理由はたくさんあるでしょうが、現在の自分がピークに達っし行き詰まらせてることが原因なわけですから、一つ上にステップアップ(ギアチェンジ)するチャンスのはずです。
ここで、やりがちなのがアクセルを緩めてしまうこと。これでは全く前進できません。
ギアチェンジのため計画的に一瞬緩めること以外は、アクセルを緩めてはいけません。

ではどのようにすればギアチェンジできるのか?もし、客観的に考えて、次のフィールドが見えていないのであれば目指すところをしっかりと明確にしなければならないでしょう。   そうすれば自ずと次のフィールドが見えてくるはずです。
見えてしまえば、チャレンジするのみです。迷う必要も躊躇する必要もありません。なぜなら、あなたは今までそのギアでピークまで走ってこれたんですから、ギアを変えてもできるはずです。
段階的にギアチェンジを繰り返し計画的に個人も、組織も成長して行きませんか?
しっかりと意識をしてギアチェンジしていきましょう。

ちょっと真面目な長文でした。





2012年10月11日木曜日

新しい事へのチャレンジ

人が新しいことにチャレンジするとき、その場面を一緒に共有できる喜びはひとしおである。

特に、チャレンジしようとする内容が、自分の得意分野であれば尚更のことである。


なぜ、この人は、これにチャレンジしようしたっんやろ?

決意するまでの葛藤ってあってんやろか?

それってどんなんやってんやろ?

やると決めたきっかけってなんやろ?

決めてから今日まで、どんなんやってんやろ?不安だらけやったんやろか?


考えてみると、当事者を目の前にそんなことを考えるとやたらと面白い。当の本人には失礼な話ですけどね・・・

そのチャレンジが自分にとってどういう結果になろうとも、そこに行き着いたプロセスはしっかりと覚えておいてほしいもんだ。必ずそれは次に続く。

チャレンジの後には新しいフィールドが見え、次の扉がそこにある。それは成功しようが失敗しようが必ずある。チャレンジしなければそこには何もない平穏無事な今しかない。

だから僕は、チャンスがあるときNoとは言わないようにしている。

Yesが自分を次のフィールドに引き上げてくれる。

自分の力量ともしかしたら合わないかもしれない。でもそれは、実行までの時間と自分の努力が解決してくれる。
高すぎても駄目だがハードルは高い方が良い。少々の無茶はしないと次は見えてこない。

多いに無茶しましょ













2012年10月4日木曜日

時代の流れの中の服屋さん

この年末で、成人になって以来、僕の面倒を見てきてくれた服屋さんが閉業する。親父の代から続いている服屋さんである。
成人式には行かなかったが、それようにと作ってもらったのが自分にとって第1着目のスーツである。
それ以来、何着の服をその人には作ってもらってきたか?
これからもその人の服を着れるもんだと思っていた。
僕の周りにも同じ服屋さんが作ったスーツを着ている者が数名いる。
当然彼らも同じ思いなんだろう。

ある意味自分の身体の大きさを総て理解してくれている人である。
ご子息が後を継がれるもんだとばかり思っていた。
理由を聞くと、決してご子息の問題ではなく、時代の流れに会わなくなってきていると言うのだ。

安売りのスーツ屋が世に多く出てきても、良い仕立てのスーツの意味をわかってくれる人は着続けてくれた。

しかし最近になり、その意味が理解してもらいにくくなった。

本物の良さを解る人間が減ってきたというのだ。
これは本物が解る人たちが逃げていったのではなく、本物を知る人が高齢になり、スーツを作らなくなった。そして、若い人たちにその良さが伝わらない。

高度な技術が安さに負けてしまった。テーラーとして、職人として誇りを持てなくなった。

だから息子も店には戻さなかったと言う。

何とももったいない話であるが、かたや時代の流れと言ってしまえばそれまでの話なのだ。


一度だけ、オーダースーツを百貨店で買ったことがある。
一度どんなものか着てみようとちょっと浮気心で買ってみた。生地もそこそこで、半値ぐらいで作ることができた。
数回着てみたが、ストレスがたまるばかりで、仕事にならない。そのスーツは、今タンスの肥やしとなっている。

そこで改めて知った。

あの方は僕の身体の総てを知ってくれているのだと・・・どこがどのようにカーブしていてどこが真っ直ぐなのか!サイズだけの話ではないのだ。
プロが作る服の本質を改めて実感する。
服とは、その人を大きく綺麗に見せるものでも何でも無く、その人本来の姿をきっちりと演出するための道具である。
合わないスーツを着ると、人間をマイナスにしか表現しない。だからといってぴったりな服は、その人を力量以上に表現するものでもない。その人を当たり前に表現するのだ。

そんな服を作れる服屋はもうそんなにいない。

そんな彼が、もうじき最後の御用聞きにやってくる・・・・・・・・・

田中さん、ありがとう

挨拶の意味と社員教育の意味

業種によって挨拶のあり方って色々ありますよね。

来客時、必ず、全員が立ち上がって笑顔で「いらっしゃいませ」と行ってくれる会社
受付担当者だけが挨拶する会社
お客様を送り出し、見えなくなるまで頭を下げている人
飲食店で、カウンターの中から、客が出て行った後も20秒ぐらい頭を下げている人

上記は、客、に対して書いてみたが、身内、従業員同士でもスタイルはマチマチである。

考えてみれば、挨拶のスタイルは総てその会社や個人の考え方を表しているのかもしれない。
この業種だから、こうだ! こうするべきだと言う決まりはない。

客を含めた人間とどう向き合うか、その第一歩が挨拶である。声の大小やスタイルも大事であるが、気持ちをどのように表現するかが重要だ。しかし、気持ちを表現するというのはたいていの人間はできにくいものである。が故に、各社、挨拶のスタイルを決めているのかもしれない。となると、挨拶が気持ちのこもらないマンネリのルーチンになりかねない。やはり難しいですよね。

先般、運送会社、飲食業、エステ、デザイナーの社長達とご一緒する機会を得た。
それぞれ、総ての会社を訪問させてもらったが、お客様との接し方は異なれど、思いは一つなんだと言うことを実感した。
話題に出たのは、従業員は商品であるということ。当然総ての産業に当てはまる話ではありませんが、その意識を従業員が持っている会社はやはり強い。
建設産業においても、僕は同じ意識を持っている。建設させて頂いた建物や構造物が商品ではなく、それを作ることができる高い技術を持った社員が商品なんだ。それを、今までもこれからも自負していくつもりであるし、そのための知識、意識の向上にも努めてきた。でもまだまだやることはある。それも身近な所に・・・・

挨拶もその一つ。前述したように、挨拶を紐解いてみると、非常に奥深いもの。
挨拶本来の意味をわかって、できるようになるまでは相当の意識改革が必要でだろう。
挨拶は個人の気持ちの表れと自主性に任せるのではなく、社員教育の一環として捕まえてみると、各企業を訪問した際の挨拶のされ方というのは非常に勉強になる。

灯台元暗しに陥ってはいけない。
挨拶を通して与える弊社のスタイルと従業員の意識高揚についてフランクに考えてみよう。