2012年8月30日木曜日

異端児が成功への最初の道のり

人間としての成長が止まっている時、同類項で群れをなし、群れの中の他人を見て、自分はこれで良いのだと納得をする。
向上心が芽生え、方向性が見えてきた時、その群れにいることの違和感を覚えどうして良いのかわからない不安感にかられる。
方向性に向かって覚悟を持って進み出した時、元の群れからは異端児と言われながらもそれが自分の成長と信じ、新しいフィールドの扉を自ら開けて進み出す
そして元居た群れに決して戻ることはない。
もうこれで怖いものはない。

果たして、この行動をどれだけのひとがとれているのか・・・

こんな盤面に何度も出くわし、関わることができる俺は幸せ者。今日もまた新しい異端児が増えるかも!

2012年8月15日水曜日

先般の三重県甲賀の海です







今まで撮影した水中写真集です

良かったら見に来てくださいね
https://picasaweb.google.com/105257888024592400007/No?authuser=0&feat=directlink

師と仰ぐもの

あなたにとって手本となる人は誰ですか?
目指してる人はいますか?
師匠と思える人は誰ですか?

さてこの問いかけに、どのように答えますか?
いろんな方の名前が出てくるでしょう。松下幸之助を筆頭に、本田宗一郎 稲森会長 etc 
きりが無いくらい著名な方々の名前が挙がるでしょう。
ビジネスだけではなく、人生においても、師と仰ぐ方がいるに違いありません。

当然、私にもいろんな方が昔、おいでになりました。JC時代の先輩 サラリーマン時代の上司 など。しかし、35歳を過ぎたとき、師と仰ぎ、その方を目標に生き、ビジネスをすることを辞めたんです。
なぜなら、その方を師と仰いでる限り、その方に近づけるでしょうが、絶対に追い抜くことは出来ないと悟ったからです。当然ですよね。今でも、「この部分は、あの方のこのスタイルをまねてみよう」というように、パートでは今でも師と仰いでる方はおいでになります。しかしそれは、遠い存在の方ではなく、ごくごく身近な方を師と仰ぎ、自分の成長を実感できる方を設定しています。存在の遠い方を設定しちゃうと比較できないもんね。

最初の設問が飛んできたとき、私の答えは、「いません」なんです。
何を生意気なこと言っとるねんと思われそうですが、以上のような理由からそのように答えています。
立派な方は沢山おいでになりますが、目標にするような人は一人もいません。なぜなら、その人のコピーになることが自分の目的ではないですし、万が一、その人に追いついてしまったときに、目標を見失ってしまう可能性が非常に大きいからです。
人間はそこで成長を止めてしまいます。
実際、そんな方を多く見てきました。
本当にもったいないことです。
このような方の共通点は、自分が師となると言うことを全く想定していません。永遠の目標を学びにおいてしまっているんです。当然、師に追いつくと目標がなくなりますよね。それどころか、追いついてることに気がつかずに迷走を始める人もいます。もう、かわいそう・・・の一言に尽きます。

とある有名なビジネスの会の会長さんがインタビュー(あくまでクローズ)の中でこんなことをおっしゃってました。
インタビュアー「あなたの会の中に、あなたを超えていきそうな経営者は何人ぐらいいますか?」
会長「そんなのいるわけ無いじゃないですか!僕を目標にしちゃってるんですから超えれるわけ無いでしょ・・・超える奴はちゃんと辞めていきますよ」

ビジネスマンの皆さん、いかがですか?皆さんは間違ってませんか?





2012年8月13日月曜日

新しいことをやってみよう

先日49歳の誕生日を迎えた
みんなも言うが何と早足な40代なんだろうか!と言ってもじっと振り返ってみると当然の如くいろんなことをしてきてる。30代の10年よりは確実に多種多様な行動をしている。
人との出会いと自分の行動に主眼を置いた俺の人生。40代になり確実に大きく膨らんだのは間違いない。
50目前になり、自身、学び、成長しながらも確実に、他に教授して行くこともしなければならないと考えている。そんなんまだ早いヤンと言われるかもしれないが、自分が考える人生の時間軸では全然早くないのだ。ピークをすぎた人間が、他に教授しても全く何も意味がなく教えられる側も、タイムリーでない分的を得ることができない。
人のピークはどこにあるか?それは人それぞれであろう。であるがゆえに思いついた時が吉日なのである。思いついたら即実行。チャンスを逃さない唯一の行動である。今年春以降、そんなことを考え、計画をしてきた。50歳を迎える前に行動に起こして見たい。
と言っても俺から学びたいという変わり者が出てこなければ意味がないが・・・・・